2006年ヒヤリ体験が20年大会、そしてその先へ繋がる

東京都サイトより:編集部

おはようございます。東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・都議会自民党最年少)です。

さて、私の提唱する有明構想には空想・妄想の類でないかというご意見が寄せられています。当然、今まで誰もやってきていない事だけにご指摘は当たり前かもしれません。例えば、ラグビーワールドカップが2019年に迫る中で、運営面で1つの課題に挙がっているのがVIPに対してのホスピタリティです。

実際に昨年のイングランド大会での実績を踏まえると、ここが1つの社交場となり、政治・経済・文化において等身大の交流が出来るものと考えています。私は現地調査も含めて、各大会で意識的に様子を探ってきたので実感しているのですが、これを科学的に説明しろと言っても分かりづらくなるだけので、写真など説明に使用できそうなものを探そうと考えています。

さて、こんな事も含めて、東京都は五輪開催都市でありますが積極的にスポーツの国際大会の運営に携わってきたわけではありません。ただ、東京マラソンでもスタート地点となる新宿では大会の週には参加者及び家族で賑わい、マラソンエキスポや大会時には関連のお土産も購入して帰って行きます。様々な積み重ねの中で大きなスポーツ大会に経済効果があるという事を学んできたつもりです。

そもそも、2020年オリンピック大会の東京招致は、2016年招致で敗れた反省を活かして進められてきました。その16年招致ですが、当初は国内選考で福岡との戦いもあったわけです。首都でありますが、当時、福岡より劣勢な面があった事はあまり知られていません。2006年の55票を争う国内選考は東京33、福岡22でした。ですから圧倒的に東京だったわけではないのです。

その意味で福岡市が当時有利と見られていた点の一つとして1995年ユニバーシアード開催や(私がアクアティクスセンター建設で引き合いにしてきた)2001年の世界水泳福岡などの国際大会の運営経験という強みがあったわけです。他にも、ちょうど一昨日開催されていた「福岡国際マラソン」、瀬古利彦VSイカンガーは伝説のレースですね。また、今は無くなってしまいましたが「福岡国際女子柔道」、こちらは田村亮子選手が足跡を残して参りました。そして、あの頃は世界クロスカントリーが始まる頃だったと記憶しています。スポーツの大きな大会運営についてノウハウと人脈が福岡にあったのです。

一方で東京でスポーツ振興を考えた場合に、例えば世界陸上は1991年に旧国立競技場で行いましたが次の日本開催は2007年大阪・長居。世界水泳は後にも先にも2001年の福岡で次の2021年も福岡となりました。ただ、今後を見ると東京五輪大会を契機に改修が予定されている日本武道館では2019年に世界柔道開催が今夏決定しました。そして2009年にラグビーワールドカップ2019日本大会が決定してきたわけです。

石原都政も「オリンピック招致」という旗は掲げていたもののスポーツ振興等に力を入れていたかというとそうではありません。前述の福岡は当時既にJOCパートナー都市となっていましたが東京はパートナー都市になっていませんでした。それだけ、スポーツは後回しにされてきたわけですが、いよいよこの分野も動き始めたと認識しています。

その中で建設される新規恒久施設ではそれぞれ世界大会が開けるようなイメージ、規模感で計画が進められてきました。16年五輪の国内選考で福岡に負けてしまうかもと一瞬頭の中をよぎった面々からすると時間をかけて議論し導いてきた結論です。都議会オリンピック・パラリンピック等特別委員会でも私は言及してきました。

有明アリーナの価値創造も決して今思いつきで言っているのではなくて、このような経緯、経験、そして有明地区が大きく発展していくからこその強い思いです。2006年招致の国内選考から10年経ちました。10年間思い抱いてきた夢を2020年あるいはその先へと大きく膨らませていく事に何ら後ろめたい気持ちもないですし、当然、関係者がその都度智恵を出し合ってきたわけです。

過日の都議会で「福岡の皆さんの思いも胸に2020年へ1つになるべき」と大先輩が並ぶ所でも発言しました。誰に言われる事無く、自らブログでの情報発信を決めました。自分の信じる道を突き進むのみです。


編集部より:このブログは東京都議会議員、川松真一朗氏(自民党、墨田区選出)の公式ブログ 2016年12月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、川松真一朗の「日に日に新たに!!」をご覧ください。