「彼は凄くネガティヴな人間だった。彼はドラム・ソロの方が曲より大切だと思っていたんだ!あの奇妙なアティテュードは理解できなかった」
「彼を選んだのは間違いだった。彼は良いシンガーではあるが、素晴らしいシンガーではなかった。そこには大きな違いがある」
ヘビィメタルファンなら、誰の言葉か分かることだろう。そう、ギターヒーロー、イングヴェイ・マルムスティーンの言葉だ。10代の頃からヘビィメタル専門誌『BURRN!』を愛読している。いつも疑問だったのは、顕著なのがイングヴェイ・マルムスティーンなのではあるが、アーティストはインタビューで必ずと言っていいほど、前作や元メンバーをdisるのだ。「今回のアルバムは最高だ」「最高のメンバーだ。バンドの状態もいい」なんていいつつ、次のアルバムのインタビューでは、暴言を吐きまくるのである。プロモーション上の理由など大人の事情として理解したわけだが、なんて醜いのだろうと思ったりもした。ファンに対して失礼じゃないか、とも。
しかし、松任谷正隆の自伝的な本を読み、私は猛反省した。音楽関連の本を買い漁ったのだ。そのうちの1冊だ。いや、たしかにプロモーション上の理由で煽っている部分はあるだろう。だが、アーティストとは、常に新しいチャレンジをし、模索を繰り返すものなのだ。新しい機材も、海外レコーディングも、珍しいスタイルのライブも、どんどんチャレンジする。この本は、世間では「ユーミンの旦那」として認知されている松任谷正隆に対するインタビューをまとめたものなのだが、いちいち「今だから言えること」で構成されているのが、いい。スマートに見える彼らしく、上品なのだが、よく読むとコメントがいちいち赤裸々だ。
印象的だったエピソードの一つが、『ダイヤモンドダストが消えぬ間に』から数作続いた、シンクラヴィアというデジタル機器を導入した作品に関するものだ。松任谷正隆は「最も組んではいけない人と組んでしまった」と語っている。シンクラヴィアを使える人は日本に1人くらいで、その方があくまで技術よりの人だったのだという。このあたりの作品はメガヒットになっているので、ある意味、セールス的には絶頂を極めた時期である。こんな苦悩があったとは。もっとも、バブル期の華やかな時期には、その痛みや葛藤がファンに伝わったがゆえにヒットしたのではないかと、彼は分析している。
アーティストは常に、納得のいく作品づくりとセールスに悩まされる。ただ、彼の仕事の中で唯一、予告ホームラン的な作品が『THE DANCING SUN』だったという。「春よ、来い」や「Hello, my friend」などヒット曲がてんこ盛りの作品だった。
いつも「ユーミンの旦那」と呼ばれる彼だが、他にもたくさんの作品を残しているし、モータージャーナリストとしても活躍している。その素晴らしい才能と仕事への情熱を感じることのできる一冊である。目の前の仕事をマジでやり続けた男ならではの凄さと、謙虚さが伝わってくる。プロの仕事術がよくわかる。
人生に疲れていた時期だったが、なんというか、少年時代の夢中で読書をする感じを思い出した。
・・・メガネをかけていた頃は松任谷正隆に似てるって言われていたな。愛妻家であること、そしてクルマ好きであることも一緒。仕事が好きなことも、かな。でも一方でASKA容疑者に似てると言われ、メガネをやめたのだった。
いつかユーミンの苗場ライブに行けたらいいな。
・・・そして、「これ、言っちゃっていいのかな」という前置きの上で、話したお下品なエピソードが。『PEARL PIERCE』って、実は隠語で。AVの最後のシーンみたいなことを表現した言葉なのね。このアルバムに入っている「真珠のピアス」ってもともと「大人だなあ」と思っていたが、ゲスの極みだったのね。いやはや。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2016年12月6日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。