柔軟で、捉えどころがなくて、その姿をどんどん変えてゆくネットというものの上で、途方もないほどの情報がやりとりされて、その情報が大量に複製される一方で、紙による出版というものがその主座から去ろうとしているいま(記録を確定させる力と保存性ではまだまだ捨てたものではないが)、創作と引用と参考と模倣の境界は曖昧になるばかりだ。盗用盗作はもちろん論外だが、オリジナルとはいったい何なのか。
著作権法やその解釈、判例ももちろんあり、おおむねその示すところにしたがって判断して行動しているわけだが、今後も次々とあらわれるであろう事態に、このままでどこまで追いついてゆけるものなのか、心許なささえ感じる。
しかし創作、創造、新発見、というものであっても、先行著作、文化の蓄積と無縁のところからは、まず生まれてくるものではない。オリジナルといっても、その基盤は、もともとが微妙なものなのである。
たとえば現地現場にでかけて、調査し、ルポするという行為であっても、ルポにはルポなりの作法というものがある。無秩序に情報だけを並べても誰も読んだりはしない。
一人の小説家が、かなり奇矯なものを書いたとしても、小説という形式からは簡単に逃れられない。またそれ以前に作家は、文法、正書法、書式、印刷形態、造本というものと、完全に縁を切ることもできない。普通があってこそ、作家作品の突飛が目立つのである。
画家の筆がどんなにあばれても、たいていは方形のカンヴァスか紙の上のことに過ぎない。むしろ四角い境界があるからこそ、画家は暴発も可能だ、というべきであろう。じつはこの点では、プロレスとかなり似通っているのかもしれないが。
現代においても、模倣やすでに確立された形式の中から、部分的な独創や発見や意見が生れてくるのであって、だから模倣や参考や引用を軽々に恥じることはないのだ。(わたしが今書いている内容だって、同様のことは、もちろん多くの人がすでに書いている。何らかの値打ちがあるとしたら、今現在あらためて書いている、という事かもしれない。)
そこでわたしはだいたい次のように考えるようにしている。
まず学術的な著述に関して。
たとえ先行する論考や資料の整理に過ぎないものであっても、有益な視点が加わっているのであれば、それはすでに一個の論考であると。
これは引用の例だが、吉田秀和はその手では名人で、ただし引用文をしばしば勝手に書き換えていた。吉田はその都度、
(×××著・△△訳 『○○○○』から自由な書き換え)
という風に注記するのがつねであったが、それでトラブルがあったとは聞かない。たいていの場合は吉田の添削によって、引用の目的は明解になり、そして引用元のオリジナルも映えたからである。ほとんど引用藝術だったのだ。
そして藝術作品に関して。
たとえ先行する作品からの大幅な模倣であっても、オリジナルの持つ魅力を凌駕していたら(または別の次元で展開していたら)、それはすでに独立した作品であると。
したがって優秀な模倣の下敷きにされてしまったオリジナルは、たいてい情けないことになってしまうものだ。しかしもっと惨めなケースは、魅力に欠ける模倣(盗用)作品が、そこそこヒットしてしまった場合である。この場合は隠れようがない。服部克久氏の『記念樹』がそうだったと思うが、良心の有無以前に、腕前の良し悪しがまぎれもなく顕わになってしまう。もし『記念樹』の方が、(合唱編成と器楽編曲と録音とを含めて)オリジナルより優れた作品になっていたら、あれだけメロディーラインを踏襲していたとしても、「盗用」の声は挙がらなかったにちがいない。いまもわたしはそのように考えている。
この2016年12月現在、槍玉に挙がっているキュレーションなるものにしても、適切に広く集め、見通しのよくなるように並べ、各々の説に注釈を施し、参照すべき事柄にも触れる、といったやり方でやれば、これは立派に人の役に立つものである。誰が集め、何を参考にし、どこから引っ張ってきたかを明示すれば、堂々とした著作物である。
ネット以前、1990年前後までは花形だった『現代用語の基礎知識』にしろ、おおむねそういう形態で編集されていたのであるし、この『現代用語の基礎知識』には、さらに模倣同種の『イミダス』や『知恵蔵』が一時追従していたのも、よく知られる通り。
しかしネット上の情報の増殖は、印刷出版の比ではない。その量と速度のもの凄さに、著作権法はすでに息切れをしているように見える。とはいえ、今回、盗用指南とその粉飾手法まであきらかになった「welq」等の例が示したように、問題があれば法が追いかけるよりも先に、ネット上で放置はされない場合もあるということだ。
今後もいろいろとカラクリのあるメディアは現れるだろうが、広告のサイトであれ、報道であれ、政党や組織のキャンペーンであれ、それがネット上で展開される限りは、何かをこっそりすることは、もはや簡単にはできなくなってはいる。
2016/12/12 若井 朝彦