慰霊の旅は謝罪の意味を含む
安倍首相とオバマ米大統領がそろって真珠湾で、75年前の犠牲者を追悼し、慰霊の式に臨みました。安倍首相の演説を聞くうちに、オバマ氏がヒロシマで行った演説(5月)にあまりにも酷似していることに気づきました。文章表現も、論理構成も、謝罪の扱いも似ているのです。オバマ演説を下敷きにして日本語版を書いたと、私は想像しました。
誤解のないように申し上げておきますと、両首脳がヒロシマと真珠湾という太平洋戦争を象徴する地で、改めて和解を強調し、平和と安定の基礎にしようという誓いは、世界史に残る価値ある儀式となりました。
さらに「戦争を仕掛けたことへの謝罪はないのか。いやすべきでない」という議論をどう考えるかです。オバマ氏がヒロシマへ、安倍首相が真珠湾で追悼に臨んだこと自体が、すでに謝罪を含むと考えるのが自然です。「謝罪」という言葉を使おうが使うまいが、「慰霊と謝罪」は一体なのです。追悼のシーンを見た大多数の両国民は「これは謝罪でもある」と受け取ったことでしょう。
「暗黙の謝罪」になっている
両国の間に考え方に深い溝があり、さらに国内も割れていますから、これでいいのです。真珠湾攻撃を「宣戦布告なき日本軍の卑劣な攻撃」という米国人がいるのに対し、「反日で国民感情を固めようとした米側の陰謀」とする日本人がいます。交わらない平行線です。また、かりに日本が謝罪したら、「中国側の仕業と見せかけた張作霖爆殺事件は日本軍の陰謀」(満州事変へ)という批判を無視できなくなります。ですから「暗黙の謝罪」にとどめておくのことも政治、外交上、必要だったのでしょう。
本題に戻りますと、冒頭にヒロシマ演説に真珠湾演説が酷似していると、述べました。いくつかの対比を拾い出してみましょう。「あの日、爆撃機が戦艦アリゾナを2つに切り裂いた時、兵士たちは紅蓮の炎の中で死んでいった」(安倍)に対し、「明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降りました」(オバマ)。
「この戦争を記録する場所がたくさんあり、勇気や勇敢な行動を綴った記念碑がある」(オバマ)に対し、「勇者は勇者を敬う。海兵隊基地に一人の帝国海軍士官の碑があり、それは米軍の人々が建ててくれた戦闘機パイロットの石碑である」(安倍)のように対になっているのです。
オバマ演説の範囲にすべて収める
「あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択をしてきました」(オバマ)に対し、「日米は同盟国となり、世界を覆う困難に立ち向かう同盟です。希望の同盟です」(安倍)はオバマ演説をまるでなぞったようです。「広島と長崎は私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう」(オバマ)への対句は「世界中が真珠湾を和解の象徴として記憶し続けてくれることを願います」(安倍)。
両首脳の演説とも、どちらが攻撃を仕掛けたかの主語がありません。「空から死神が舞い降り」と表現し、米軍機とは言っていません。「あの日、爆撃機が」とし、日本軍機とは言っていません。主語がないので、両国とも「謝罪する」とも「謝罪しない」とも言わず、「罪なき人々を追悼する」(米)、「そのみ霊よ安らかなれ」(日)という一般論で片付けています。
オバマ演説の範囲から一歩もはみ出そうとしなかったのは、政治的な意図があってのことです。歴史修正主義者ともいわれる安倍首相は真珠湾での慰霊に、乗り気でなかったというのが本心でしょう。そうはいかなくなった時、演説の許容範囲は「オバマ氏の範囲にとどめる」と考えたと、わたしは想像します。
最後に、反日感情が強固な中国、韓国などとの和解はあり得るのか。今回の場合、友好関係が深かったのと、日米の両国側に象徴的な地点がありましたから、歩み寄りができたのかもしれません。中国、韓国となると、日本軍に一方的な非があるし、反日政策がかれらの外交手段になっていますから、暴発しないように抑制していくしかありません。