「ASKA不起訴釈放をめぐる謎」で生じる覚せい剤捜査への影響

ASKA氏釈放が今後の薬物捜査に与える影響は?(写真ACより:編集部)

今年最後のブログ記事である。

11月28日の美濃加茂市長事件控訴審の「逆転有罪判決」については、上告趣意書の作成の準備作業に着手しているが、判決内容を仔細に検討すると、証拠や当事者の主張、控訴審での検察の主張すらも無視した、「凡そ控訴審判決の体をなしていない判決」であることを一層強く感じる。マスコミ関係者の話によると、検察幹部ですら、「逆転有罪」を手放しでは喜べないようで、「理由がなあ…」などと浮かない顔をしているそうだ。

この判決が、論理的にも証拠的にも「凡そあり得ない異常判決」であることは、既に出している(【”重大な論理矛盾”を犯してまで有罪判決に向かったのはなぜか】【被告人の話を一言も聞くことなく「逆転有罪」の判断ができるのか】の二つの記事や、You Tubeにアップしている美濃加茂市での【市民向け不当判決説明会の動画】をご覧頂ければ、十分に理解してもらえると思うので、ブログではこれ以上触れないこととし、私の方は、年明けから、上告趣意書作成の作業に全力を尽くすことにする。

今年は、芸能人等の覚せい剤事件が社会の注目を集めた年であった。【「一発実刑」で清原を蘇らせることはできないか】【ASKA氏を不起訴にした「異常に弱腰」な検察、美濃加茂市長事件での「無謀極まりない起訴」との落差】など、当ブログでも取り上げてきた。若年層への薬物の蔓延が深刻な社会問題になっている状況でもあるので、今年は、ASKA氏(以下、「ASKA」)事件をめぐって今なお残る謎と、今後の覚せい剤捜査に与える影響について問題を整理して、ブログを締めくくることとしたい。

前のブログ】でも述べたように、ASKAが提出した液体(尿の提出を求められ、スポイトに入れたお茶を提出したと供述)から覚せい剤が検出されたのに、覚せい剤所持で起訴されることなく、全面的に不起訴で釈放となったのは不可解だ。

その後、この事件についての、いくつかのブログ記事がBLOGOSにも転載されているが、その中に、弁護士(元国会議員)で、「ASKA無罪放免事件は、検察が警察に対するチェック機能を果たしたケースと評価すべき」と書いている人がいるのには、些か驚いた。「検察は、警察の言い分を鵜呑みにしないで、ちゃんと仕事をした。」「お茶を尿だと見間違えなかった検察官を褒めておこう。」ということだそうだ。

この人が言うところの「警察の不適切捜査」というのは何のことだろうか。「採尿の際に手元を見ていなかったために、提出した液体が尿だと断定できなかった」というのは、確かに、自宅での採尿にしても、やり方がやや生ぬるかったとは言えるだろう。しかし、「尿ではない液体を提出されて受け取ったために、鑑定したが、覚せい剤が検出されず、被疑者を逮捕できなかった」というのであればともかく、その液体からは覚せい剤は検出されているのである。警察の対応が手ぬるかった面はあったとしても、覚せい剤の検出を免れようとする被疑者側の画策は不発に終わったと見るべきであろう。今回の警察捜査には、「若干間抜けな面があった」とは言えても、「違法捜査」とか「不適切捜査」というような性格のものではない。

もし、警察捜査に重大な問題があったとすれば、ASKAが提出した液体について、①覚せい剤が検出されたという「科捜研での鑑定結果」に疑問がある、②警察が提出を受けた後に液体に覚せい剤が混入された疑いがある、のいずれかの場合だ。しかし、①については、科捜研における覚せい剤鑑定は定型化され、その手法も定着しており、「覚せい剤検出」の鑑定結果が誤っていたとは考えにくい。ASKA自身も、その後更新したブログで、「科捜研に間違いはないと思います。」と述べている。

②については、もし、そのような疑いがあるというのであれば、警察内部に、被疑者が提出した尿に混入するための覚せい剤の「在庫」があることになり、警察の覚せい剤捜査そのものが根本的に信用できないということになる。何らかの具体的な根拠がない限り、検察官が、警察にそのような疑いをかけることはできないはずだ。

この点に関して思い出すのは、私が、まだ駆け出しの3年目の検事だった30年余り前、暴力団犯罪、覚せい剤犯罪が多発する都市の地検で担当した覚せい剤事件のことだ。覚せい剤中毒と思われる錯乱状態で逮捕された常習者について、同居していた両親から日頃の様子を聴取したところ、「覚せい剤中毒と思える状態はずっと続いており、逮捕される数か月前に、部屋で覚せい剤のような『白い結晶』を発見して警察に届けたが、警察からはその後全く音沙汰がなかった。」と言い出したのだ。私はその「覚せい剤らしきもの」を受け取った警察署と、担当警察官を特定し、地検に呼び出した。担当警察官は、最初は否定していたが、結局、「10グラムぐらいの覚せい剤と思える物を両親から受け取ったが、他の事件で忙しかったので、ロッカーに入れたまま、放置していた。」と認めた。その後、その警察署内から、実際に約10グラムの覚せい剤の結晶が発見された。その後、覚せい剤事犯の捜査の信頼を根底から失わせかねない重大な問題として、地検と警察の幹部との間で対策が協議されたことは言うまでもない。

このような重大な失態があったというのであればともかく、今回のASKAの事件では、警察の重大な違法捜査や失態があったことが具体的に明らかになっているわけではない。

それなのに、なぜ、提出された液体から覚せい剤が検出されているのに不起訴となったのかは全くの謎だ。その点への疑問が解消されないままでは、①②の理由で覚せい剤の使用を否認するケースが多数出てくる可能性があり、今後の覚せい剤捜査に大きな影響を及ぼすことが懸念される。

過去に、覚せい剤事件に関して重大な違法捜査の事実が明らかになり、不起訴処分や無罪判決につながった事例は多数ある。そのような違法捜査の抑制は、検察にとっても、当事者の警察にとっても極めて重要な課題だ。

しかし、覚せい剤事犯の捜査の現場では、「『被疑者側から押収した証拠物を鑑定した結果、覚せい剤が検出された事実』がある場合には格別の事情がない限り起訴される」というのは当然の前提であり、その大前提が崩れたのでは、そもそも覚せい剤捜査は成立しない。薬物事犯が若年層にまで蔓延し一層深刻化する現状において、不起訴処分によって、その大原則に疑念が生じるような事態が生じているのに、その事情もわからないまま、「検察はよくやった」などと安易な評価を行う無責任な言動は慎むべきであろう。

警察等の覚せい剤事件の捜査に対しては、適切な批判の目を持ちつつ、基本的には捜査を信頼する姿勢が必要である。それなしには、深刻化する薬物事犯の抑止は到底なし得ないことを強調して、今年のブログを締めくくることとしたい。


編集部より:このブログは「郷原信郎が斬る」2016年12月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。