それが戦時経済で起こったことだ。東條英機もヒトラーも戦時国債で戦費を「前借り」して、戦後にインフレで踏み倒した。安倍首相の祖父は、東條内閣の商工相として日米開戦を決定した御前会議に出席し、開戦詔書に署名した。岸が戦犯として起訴されなかったのは、その優秀な頭脳とすぐれた政治手腕が、GHQにとって利用価値があったからだ。
安倍首相の政策は、驚くほど祖父に似ている。外交では岸は反米だったが、戦後はアメリカと妥協し、CIAの工作員までやった。日米安保条約は憲法改正の第一歩だったが、安保騒動で挫折した。安倍首相はそれを継承し、祖父の悲願を達成しようとしているのだろう。それは野党やマスコミの騒ぐほど大きな変化ではなく、日米同盟の現状維持に過ぎない。
問題は経済政策である。量的緩和は戦時国債の引き受けのようなもので、岸の国家社会主義の延長だ。「賃上げ要請」による統制経済や、電通をスケープゴートにして「産業戦士」の士気を高める手法も、岸と同じだ。JBpressでも書いたように、それと一体になっているのが厚生年金や健康保険などの(戦時体制でできた)社会保障だから、安倍首相がそれを改革することはありえない。
岸は戦後も生き延びて通産省を創設し、国家社会主義をターゲティング政策と装いを変えて続けた。それを継承しているのが、経産省出身の今井尚哉秘書官だ。彼の経済に関する知識は「リーマンショック・レポート」でわかるように中学生並みだが、大事なのは日本経済ではなく役所の権限を守ることだから、それでいいのだ。
そして岸は保守合同で、大政翼賛会と同じく無原則な自民党をつくった。政治家は選挙区の地元利益を官僚機構につなぐだけで、政策は何も立案しない。この「自民党システム」では、政策のわかる政治家は首相だけでいい。要するに、1930年代にできた戦時レジームは今も続いているのだ。
この戦争遂行のための総動員体制をつくったのは、永田鉄山である。彼は1935年に陸軍省の軍務局長に就任すると「国策研究会」という私的研究会を立ち上げ、そのメンバーに岸を初めとする「革新官僚」を入れた。しかし永田はそのあと暗殺され、総動員体制は全体の指揮者を欠いたまま暴走し始めた。
岸が満州国に渡って永田の青写真を実験したのは1936年だが、増長した関東軍は南進して日中戦争に突入し、満州国の経営は失敗した。ところが岸は帰国して商工省の次官になり、満州国と同じ国家社会主義で日本経済を管理しようとした。そのお先棒をかついで「日本経済の再編成」を提言したのが、朝日新聞の緒方竹虎や笠信太郎だった。
戦時レジームは、終戦直後の経済安定本部や通産省に受け継がれた。その評価はわかれるが、少なくとも高度成長期には、日本型の(資本家が弱く経営者が強い)経営者資本主義が成功したようにみえた。だがアトキンソンも指摘するように、今やこの日本型資本主義が足枷になって、日本経済はポテンシャルを発揮できない。
しかし安倍首相が、祖父のつくった戦時レジームを変えることはできない。資本主義を防いで役所が企業をコントロールすることが通産省以来のミッションなので、今井秘書官も変えないだろう。自民党も、現在世代が消費して将来世代が負担する自民党システムを変える気はない。野党は何が問題かさえ理解できない。
こうして今年も終わり、来年は岸の負の遺産が表面化してくるだろう。それがすぐ金利上昇やハイパーインフレをもたらすことは考えにくいが、日本経済は問題を先送りしてゆるやかに壊死してゆく。どっちが悪いかは世代によって違うが、私の世代にとっては壊死することがベターだ。国民の過半数も同じなので、来年も何も起こらないだろう。