現在の憲法は「押しつけ」ではない

池田 信夫

憲法が「押しつけ」かどうかという事実関係は「戦後レジーム」を否定するかどうかという価値判断とは独立だが、しばしば両者は混同される。今年は憲法改正が日程にのぼってくるだろうが、同じ論争が繰り返されるのは不毛なので、歴史的事実を整理しておこう。

  • 憲法を起草したのはGHQだった:敗戦後、日本政府は「松本案」と称する明治憲法の改正案を出したが、これはマッカーサーに拒否され、彼の素案をもとにして憲法は1週間で起草された。しかし松本案を書いた宮沢俊義は「8月革命」説で、これを主権者たる日本国民の総意であるとした。これは丸山眞男の言葉が起源とされる。

    日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。(「超国家主義の論理と心理」)

    宮沢の論理はおかしい。丸山の重視したのは第9条ではなく第1条の「国民主権」だったが、憲法によって初めて主権をもつ国民が、国民主権の憲法を定めるというのは循環論法である。この「革命」を起こした(アプリオリに主権をもつ)国民は、カール・シュミットの「憲法制定権力」のような超越的な主権者と考えるしかない。

  • GHQは憲法を改正しようとしたが、日本政府は拒否した:第9条は冷戦には適していないので、GHQは日本を再軍備しようとしたが、1951年1月29日の吉田=ダレス会談で吉田茂は「再軍備は日本の自主経済を不能にする。対外的にも、日本の再侵略に対する危惧がある。内部的にも軍閥再現の可能性が残っている」として憲法改正に反対し、マッカーサーもこれに同調した。ダレスも最終的に妥協したが、その裏には5万人の保安隊をつくる密約(上の写真)があり、再軍備は漸進的に進めることになった。
  • その後も国民は改正の意思を示さなかった:占領期間中に再軍備ができなかったので、保守勢力は憲法を改正するために合同して自民党を結成したが、結果的には一度も両院の2/3を取れなかった。これが今日に至るまでの主権者たる国民の意思である。

したがって1946年に憲法を書いたのはGHQだったが、現在の憲法は日本政府と国民が改正しないことを選択した結果であり、「押しつけ」論の元祖である江藤淳を丸写しした佐伯啓思氏白井聡氏のような被害妄想はナンセンスである。憲法を改正するのはいいが、押しつけを理由にするのはやめたほうがいい。