トランプのポピュリズムと日本のパターナリズム

池田 信夫


トランプの記者会見は予想以上に支離滅裂だったが、娯楽としてはおもしろい(クリックで動画)。これを見ていて、彼のポピュリズムは日本のパターナリズムと対角線上の位置になっていることに気づいた。

彼のポピュリズムが「立憲主義なきデモクラシー」だとすれば、日本の役所のパターナリズムは、国民に対して説明責任を負わないデモクラシーなき徳治主義である。Paternalismは温情主義とも家父長主義とも訳すが、語源はラテン語のpater(父)なので、「父権主義」ぐらいが妥当なところか。

天皇は「万世一系」の超越的存在なので、その正統性は問われない。その元祖は中国で、ここでは「選挙」とは科挙のことだ。官僚の正統性の根拠は無知蒙昧な大衆に選ばれたことではなく、皇帝に選ばれたことだった。では皇帝の正統性は何だろうか。それが暴力による「革命」だとすると、暴力団と変わらない。

日本ではそういう革命がなかったので、「天皇の官吏」の正統性の根拠は、民の生活を思いやる天皇の温情だった。そういう日本的パターナリズムの典型が浜田宏一氏のコラムだ。

In the fourth century, Japan’s emperor looked out from a small mountain near his palace and noticed that something was missing: smoke rising from people’s kitchens. […]The tax moratorium had worked. The people were so grateful to the emperor – who became known as Nintoku.

これは仁徳天皇(290~399)の有名な逸話である。この生没年でも明らかなように彼は実在の天皇ではないが、浜田氏にとってそんなことはどうでもいい。「民のかまど」から煙が立っていないので税金を免除すべきだ、というのが彼の理論である(これは彼が引用しているシムズとは違う)。

彼や宇沢弘文氏の世代は、若いころマルクス主義の洗礼を受けたが、その理論が崩壊して「近経」に転向した。しかし彼らの脳に焼きつけられたパターナリズムは、潜在意識に深く沈潜しているので自覚できない。浜田氏のリフレは(彼も認めたように)失敗に終わり、今度は税金を負けろという別の理論に乗り換えたが、物語は同じ温情主義だ。

パターナリズムは、今も団塊の世代以上に共通だ。電通をスケープゴートにして雇用規制の強化をはかる厚生労働省も、国家総動員体制の一環として生まれた。そのコアにあるのは、国民を戦争に総動員した家父長主義だが、主観的には善意で「労働者のためにやっている」と思い込んでいるのが厄介だ。

それはエリートとしての官僚が無知な大衆を指導する思想であり、その正統性の根拠はデモクラシーではなく天皇大権だった。戦後は天皇も軍も消えたが、官僚機構のパターナリズムは残った。それはデモクラシーの歯止めをなくすために、自民党という形骸化した「主権者」をつくったので、戦後最長になろうとする安倍首相も「みこし」にすぎない。

この構造は、日本の企業で主権者としての株主が、株式の「持ち合い」で無力化されているのと同じだ。トランプは民主党のパターナリズムにうんざりした白人に迎合して、国家の民営化でポピュリズムを実現したのだ。今週の金曜スタートするアゴラ政経塾では、その構造も考えてみたい。