退位後は上皇?元天皇?皇室を取り巻く熾烈な情報戦

新田 哲史

宮内庁サイトより

退位後の呼称を巡って毎日と日経がガチンコ勝負

天皇陛下の退位を巡っての「情報戦」が熾烈を極めている。きのうは退位後の陛下の称号を巡って、毎日新聞が「上皇使わず」「前天皇など検討」で記事を掲載したかと思えば、同じ日の朝刊で日経新聞は「退位後『上皇に』」とする特ダネを打ち込んできた。

退位後「上皇」使わず 政府、称号「前天皇」など検討(毎日新聞)

天皇退位後「上皇」に 政府検討(日本経済新聞)

日経OBの山本洋一氏は、2つの記事が出た直後にブログを更新し、こう見立てていた。

記事を読む限り、毎日は政府内でこの問題を検討しているラインの高官から「ファクト(事実)」をつかんで書き、日経は有識者会議の経緯から結論を「想像」して書いたように見える。

しかし、午後になって、裏取りに追われた産経が、政府首脳の話として、毎日記事を否定する報道を流し始めた(※政府首脳とは、おそらく菅官房長官のこと。もしくは杉田和博官房副長官もありうるがその場合なら「政府高官」の表記になるはず)。共同通信も昼過ぎ、「退位後は「上皇」検討」と報じた。山本氏が古巣に手厳しい余りに読み誤ったのか、「毎日VS日経」は、後者に軍配が上がりそうな雲行きになりそうにも見えるが、ただし、読売や朝日が電子版で追いかけ記事を出していない(12日23時時点)ところからすると、まだまだ予断は許さない。

ただ、毎日も日経も勝負をかけてきた以上、互いにそれなりの根拠を持っていたはずだ。しかも案件が案件だけに、掲載するかどうかについては担当記者だけでなく、複数の記者の取材ルートに裏を取り、上司のデスク、場合によっては編集局の首脳も含めて判断するであろう。

取材対象が同じ官公庁の記者クラブを舞台にしながら、取材合戦の結果、これほど真っ二つの見解が出るのは珍しい。通常の記者クラブの取材競争であれば、同じネタをどこが先に掴むかという展開になるが、歴史的な事件などスケールが大きい案件になればなるほど、信ぴょう性のある情報が入り乱れる。

難易度の高い情報戦。最初に始めたのは…

私は、皇室の取材経験はないが、拙著「蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?」(ワニブックス)で、ネット時代の政治の世論ゲームを分析したこともあって、一連の退位を巡っては、情報戦という視点から観察してきた。

そもそも、昨夏の陛下のお気持ち表明の頃から、宮内庁(陛下)と官邸との思惑の相違、あるいは有識者会議の参加者間での意見の違いから、まさに情報戦ともいうべき様相を呈していた。それぞれの当事者たちが自説に有利になるよう、メディアも巻き込んで世論の流れを掴む主導権争いは、皇室を舞台にした問題としてはかつてないほど熾烈になっているように感じる。宮内庁記者クラブが直面する情報戦としても過去に類のない難易度の高さだろう。

今回の「上皇」問題についても、まさにそうで、「上皇」の称号をめぐり、「賛成派」と「反対派」それぞれの思惑がからみ、記者たちがそれぞれ食い込んでいるうちに、掴んだ「ファクト」にかけて勝負をかけてきたのだろう。

最初に「世論ゲーム」を“仕掛けて”こられたのは、畏れ多くも誰あろう、天皇陛下だった。象徴天皇制の枠内ギリギリで、高齢による退位へのお気持ちをにじませる形で自ら声明を出される形でアジェンダを設定された。その後、有識者会議が始まるなどして、政府が本格的に退位制度について検討を始めるも、陛下がおそらく本音では望んでおられるであろう「高齢化時代に合わせた退位制度の設計」ではなく、一代限りの特例法扱いという方向性になっていく。

さすがに新聞は報じないが、皇室・宮内庁に意外にも伝統的に食い込んでいる週刊誌などでは、陛下・宮内庁サイドと官邸サイドの思惑にズレがあると報じられている。この間、陛下のご学友が「以前聞いた話」などとして、メディアに情報を提供しているが、これは陛下の御内意を受けた宮内庁サイドが主導権を取ろうとしてきたからではないだろうか。

天皇と安倍総理が「決定的に対立する日」(「週刊現代」2016年12月31日・1月7日合併号)

明石元二郎の孫まで登場。そしてあの新聞の動向は?

しかも、この週刊現代を始め、メディアにしばしば登場するご学友は、明石元紹氏。日露戦争の対露情報工作戦で活躍した、あの明石元二郎大佐の孫なのだから興味深い。ここに来て、週刊誌に取材に応じて官邸との対立を示唆するコメントをするなど、自ら情報戦の矢面に立っている。国家の存亡をかけた情報戦に使命を賭した祖父の血を引くだけに、明石氏の姿勢は、陛下のご内意に少しでも沿うように事態を進めようという“ゲリラ戦”をしているように見える。

もちろん、明石氏の話もポジショントークなので、そのことも合わせて考えていきたい(ちなみに筆者個人の意見としては、退位後の呼称は「上皇」が歴史的になじみもあって自然で、退位制度も社会の高齢化を踏まえて恒久化を否定すべきではないと考える)。

これもまだ情報戦の産物かもしれないが、平成の終わりは2018年を以ってというシナリオが、報道各社の主流になりつつある。2019年初めに皇太子殿下が天皇に即位されるまで、今後も、退位に関する制度設計の進捗、新元号のネーミングなどについて熾烈な情報戦と取材合戦が繰り広げられるのだろう。

なお皇室報道で注目したいのが、朝日新聞の動向だ。皇室報道で読売などと違い、敬語を使わないなど、皇室を敬う保守的な人たちの不興を買うイメージがあるが、実は、皇室報道の歴史的な節目では、1988年夏の昭和天皇の重篤報道、1999年の「雅子妃、ご懐妊兆候」をはじめ、他社が驚愕するような一大スクープを放ち、波紋も呼んできた。私がかつていた頃の読売では、当時の経営首脳が「朝日の皇室報道は伝統的に手強い」と嘆いたのを見たことがあるほどだ。

陛下も“参戦”されての異例ずくめの世論ゲームは中盤戦。皇室報道の裏を読むことが不可欠な日々がまだまだ続きそうだ。

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民進党代表選で勝ったものの、党内に禍根を残した蓮舫氏。都知事選で見事な世論マーケティングを駆使した小池氏。「初の女性首相候補」と言われた2人の政治家のケーススタディを起点に、ネット世論がリアルの社会に与えた影響を論じ、ネット選挙とネットメディアの現場視点から、政治と世論、メディアを取り巻く現場と課題について書きおろした。アゴラで好評だった都知事選の歴史を振り返った連載の加筆、増補版も収録した。

アゴラ読者の皆さまが昨今の「政治とメディア」を振り返る参考書になれば幸いです。

2017年1月吉日 新田哲史 拝