「第三のウソ」のことなど

若井 朝彦

わたしはツイッターの「ことわざbot」のたぐいを、いくつかフォローしている。同じつぶやきが繰りかえされても、その都度楽しんでいる。ことわざが好きなのである。次のものは、ことわざというよりも警句箴言だろうが、かなり気に入っているもののひとつ。

「ウソには三種類ある。ウソ、真っ赤なウソ、そして統計である。」

タイムラインに周期的に現れる。

統計は直ちにウソというものではもちろんない。だがその「統計」(実験による「統計」や観察による「統計」など)というものにもさまざまな品質がある。

「統計をする意味が不明な単なる統計」
「有効な仕分けがしてある統計」
「前提に欠陥があって誤った証明を誘発しかねない統計」
「データ捏造や仕分けの仕方にトリックのある統計によって作られた単なるでっち上げ」

この他にもいろいろだが、(数値)統計といっても要は人間次第なのだ。たしかに「第三のウソ」とレッテルを貼ってもよいものも、世間にはうんざりするほどあふれている。とくに賛否に揉まれていない統計は要注意であるし、「手法はまちがっていないし悪意も認められないが袋小路に迷い込んでいる」といった統計は、なお扱いが難しい。つい先日、1月18日の外信ニュースも、後者の一例だったのかもしれない。

共同通信47NEWS・2017/1/18 01:01
https://this.kiji.is/194119358531403778
「ダイエット実験でサル寿命延びる・論争に決着、米チーム研究発表」

・・・栄養不足にならない適度なダイエットで寿命が延びるかどうかは長年の論争の的だった。国立加齢研究所とウィスコンシン大はサルを使った研究で、2009年と12年にそれぞれ異なる結果を示していたが、互いのデータを分析した結果「寿命を延ばす効果あり」と結論を出した。・・・
(全文は300字弱)

朝日新聞デジタル 1/18(水) 7:52配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170118-00000025-asahi-soci
「カロリー制限、やっぱり長寿に効果 論争に終止符か」

カロリー制限はやはり長寿に効果がある、とする研究結果を米国の二つの研究チームがまとめ、17日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表した。両チームは1980年代後半からアカゲザルで実験を続け、効果をめぐって相反する結果を発表。両チームが共同で実験データを再解析し、「効果あり」で結論が一致したという。・・・
(全文は約700字)

記事は朝日の方が長く詳しい。この記事はアメリカに元ネタがあっての記事なので、この2例のほかにも配信はあったかもしれない。ここでいう「両チーム」、米ウィスコンシン大学と米国立加齢研究所がそれぞれアカゲザルで実験をして統計し、導き出された見解は相反していた。だが両方のデータを再解析したところ、カロリー制限が寿命をのばす事に有意であると結論づけた、ということであるらしい。当初の対立がめでたく和解したわけであるが、一定の期間は、相手の統計、または結論を、双方ともに疑っていたわけだ。

さらに朝日の要約によると

・・・実験開始時の年齢を若年(1~14歳)と中高年(16~23歳)に分けて改めて解析すると、若年でカロリー制限を始めた場合は寿命が延びる効果はみられなかったが、中高年で始めた場合は効果がみられ、特にオスは平均寿命の推計が全体よりも9歳ほど長い約35歳だったという。・・・

ということである。アカゲザルの普通の寿命からして実験は30年単位のものであるのだし、それをまたはじめから繰りかえすよりも、すでにある統計数値を解析しなおした方が安上がりだったはずである。もっとも、突き合わせや解析をせずにそのまま再現というわけにはゆかなかっただろうが。

解析以前の統計そのものであっても、先入見の影響は皆無ではない。また次の予算が獲得しやすい結論とそうでない結論もある。潜在する集団意図がそれに働きかけてしまうことも、もちろんある。対象群が充分大きい場合はともかく、サンプルの少ない統計に飛び抜けた数値が現れた場合、それをノイズとして撥ねるのか、それとも特異な現象として突っ込んだ研究をするのかは、それこそ当事者次第。このアカゲザルの例では、どうやら数字の区分を見直すことで、意味のある結果が導き出されたようだが、下手をすれば、双方の統計が共倒れして、まとめてガラクタにならなかったとも限らない。

また研究機関の発表する結果を、報道が煽ることもしばしば起こる。統計や結論の一部ばかりを、ウソにはならない程度に増幅したりするわけだ。今回の場合、朝日も共同も同じネイチャー・コミュニケーションズを読んでの記事のようだが、共同は「論争に決着」、朝日は「論争に終止符か」という言葉を用いている。しかし「ア大」と「加齢研」との間で手打ちがあったということで、他の団体は関与していないようだ。共同通信の「結着」はむろん、朝日新聞の「終止符」という語の使用も(朝日は、東スポ風に「か?」をくっつけているにしても)、ちょっと上ブレの感じが否めない。第三者の検証も欲しいところだし、本当の結着は、最低限のところ機序(機杼)が明らかになってからのことだ。

統計は、そのままでは統計にとどまることがほとんどで、機序本質解明のための参考である、と心得ておけばまずまちがいない。統計によって機序が究明され、解明のなされた機序によって統計の方法と精度が向上する。複数のチームで相反する結果が出ていて、検討が加えられる統計というものは、途中に紆余曲折があっても、その分だけ幸運な統計であり研究(過程)なのである。このアカゲザルのケースもなかなか恵まれた研究だったようにわたしは思う。

2017/01/22 若井 朝彦
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