ジョブディスクリプションが曖昧な日本は時代遅れか?

前回から続いて、アメリカ最大のスポーツイベントであるスーパーボウル(日本時間の2月6日月曜日午前中にあります)を見てみることから、アメリカと日本の社会や組織運営のやり方の違い、日本が「らしさ」を失わずに長所を発揮していくにはどうしたらいいのか?について考えている記事です。

二回続きの記事ですので、前半から読みたい方はこちらからどうぞ。

アメリカのスポーツはサッカーに比べて、いわゆる「ジョブディスクリプション」が明確なので、不確実性の高い時代でも「個」がちゃんと守られて発揮されやすい構造にあります。

では、日本におけるサッカー文化は、そして会社などの日本の組織は、その「彼らの良さ」を参考にしつつどういうふうに動かしていけばいいのでしょうか?

ある程度「人間の集団の動き」というものに対して普段から洞察のようなものを養っている人が、普段見ないアメフトを見ると色んなことに気づくと思います。それぐらい「特殊な場」という感じなので。

特に、「あらゆる個のプレイヤーの役割が言語的に明確に決められていて、その間の連携プレーも事前に打ち合わせがされている」という性質がバッチリ噛み合って発揮されている「良い試合」を見ると、いかにサッカーというのは自然に任せたままにグダグダになっていきつつそのグダグダさを楽しんでいるスポーツなのかもしれないとすら思えてきます。

勿論これは、その約束事のないグダグダさの中から一瞬のクリエイティビティの発揮によって大きな局面が変わり、アメフトの場合完全にデザインされた結果として生まれるような大きな連携プレーが「自然の結果」として生まれる奇跡・・・の中にサッカーの魅力はあるんだ・・・ということを前提にした上で言っているわけですが。

ただ、そうやって「アメフトを見るといかにサッカーがグダグダなスポーツなのかがわかる」という「気づき」を得るのはいいんですが、その先じゃあサッカーも単にアメリカのスポーツみたいに「ジョブディスクリプションを明確に」すればいい・・・という単純な解決は無理なんですよね。

そもそもサッカーという競技の本質が自由なので、時計を一々止められるアメフトやピッチャーが投げるごとに仕切り直しになる野球と同じようにはできない。

実際、さっきリンクを貼った昨年のスーパーボウル紹介記事で詳しく述べているんですが、アメフトの世界においても「グローバリズム的な液状化」の影響は大きくあるんですよね。

旧来の役割分担に従わない自由な発想のプレイヤーがどんどん出てきて、「アメフトという競技のテンプレート」は揺らされ続けている。特にモバイルクォーターバックと呼ばれる一連の黒人QBたちの活躍は見ていて興奮させられます。「え?なんでそんなとこにQBがいるの?」っていうようなところに変幻自在に出没してプレーが繋がる面白さ。

しかしそういう「自由なプレースタイル」が「アメフトらしさ」を損ないつつあるというふうに考える保守派アメリカ人も多いようで、昨年の記事で扱ったキャム・ニュートンというあまりに破天荒な黒人QBの活躍に逆向きに刺激され、今年は得点取った後のパフォーマンスでちょっとでもフザケすぎたら即罰金みたいな運用になっていて、試合結果としてもモバイルQBのチームはかなり早い時期に敗退してしまい、久しぶりに「伝統派の白人QB同士の戦い」の決勝戦になっています。

この結果に、どこまで「トランプ時代の空気」が影響しているのかはわかりませんが、こうやって「グローバリズム的な自由度を一度拒否してしまう」ことが、アメフトの魅力を損なう結果になるんじゃないかと私は思っています(これはトランプ政権的な動きが、短期にはともかく長期には明らかにアメリカの国力、特に”ソフトパワー”的なものを失わせて行くだろうという大方の予測と対応する流れであるかもしれません)

実際、キャム・ニュートンが大活躍していた試合はなんど見ても楽しくて、昨年はポストシーズンの全試合を見たぐらいだったんですが、今年はどうも・・・徐々に興味を失いつつある自分がいたりして。

だから、「アメリカのスポーツのようなジョブディスクリプション」はサッカーには導入できないんですよね。そうやろうとするとアメリカという制度全体が壊れてしまう。それへの拒否反応がトランプ現象だと言っていいぐらいのものなので。

じゃあどうすればいいのか?は、ワールドカップの時の以下の記事↓

サッカー日本代表の敗因はアドレナリン過剰?

に書いたような方向性で行くべきなんだろうと思っています。

つまり「個別のジョブディスクリプション」はそこまで厳密にできないが、「その場」に対する「場作り」的な戦略は明確にしていく・・・という感じでしょうか。

要するに、自由度があまりに高い状況の中でジョブディスクリプションも明確で無いとなると、そこの中にいる個人が「ありとあらゆる不確実性を全部一人で引き受けてあれこれ考えなくちゃいけなくなる」わけなんですよね。

その「不確実性を下げる」ための「自分たちはこうやっていくんだという共有了解」を立ち上げていくと、徐々に「個」が「課題に集中」できるようになっていく。

それは、サッカーにおいては、日本のサッカーファンやサッカーメディアや業界関係者や勿論選手や元選手がサッカーを見て、語って、分析し・・・を『良い方向に』行っていくことで、特有の言語・特有の見方・特有のプレースタイルがだんだん立ち上がっていくことで、「余計なことをゼロベースで考えすぎなくてもよくなっていく」ことで克服されていくものがあるだろうということです。

そして普段の「仕事のありよう」においても、「このグローバリズム時代の中で日本人のどうしようのない性質を善用していくにはどうしたらいいのか?」について、現場レベルの働き手から学者から官僚からコンサルから金融関係からメディア関係者まで「それぞれの立場なりに」知見を持ち寄ることで、「立場の違いを超えた共有了解」を打ち立てようとしていくことです。

最近経営コンサル業の方のあるクライアントの決算が非常に良くて、「おお、”良い経営”って地味だけどこんな感じなんだな」というのが実感できたというようなことがあったんですが、それは要するに、

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A・自分たちの価値が他人より活かせる分野をあらかじめ選んでおいてそこに集団を方向づける
B・その方向に対して構成員が他に余計なこと考えずともちゃんと工夫を積み重ねられるように動機づけておく
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結局この2つしかやってないし、でもこの2つをちゃんとやっておいて、時代の変化を気にしながら、「だんだんこうなっていくからそろそろこの分野強化しておこう」みたいな判断を世の中より二回り早いぐらいのタイミングで下し続けるだけ・・・・で充分「おお、スゲエなこの決算」というような数字にはなる・・・ようです。

大事なのは、AとBを両方できる人ってそんなに多くなくて、今の日本は「Aの機能」と「Bの機能」が分断され気味で、

・「Aのアイデアはあるのに伝える手段がなく、なんでわかんねえんだよこのアホどもが!」ってなってる人たち

がいる一方で

・「Bの能力はあるけど方向付けのアイデアがもたらされないので、旧態依然とした目標にバンザイ突撃をし続けている」

結果になっている組織が多くあったりすることなんですよ。

で、この「AとBをつなぐ文化」こそが今の日本に必要なことで、これはサッカーで言うと、「各ポジションの選手に余計なことを考えさせないで済む方向づけを与えてあげられるかどうか」ということになると思います。

要するに「個のジョブディスクリプション」をアメリカのスポーツみたいに明確にすることはもう無理な時代だけど、「目指すべきプレイ」を語れる共有了解を増やしていくことで、「あ、自分の役割はこれなんだな、それ以外は別に自分は考えなくてもいいんだな」と個々のプレイヤーが思えるような状況を作り出せるかどうか。

「余計なことを考える必要がなくなる」という意味では、「広義にファジーなジョブディスクリプション的な了解」とも言えるかもしれません。

結果として、そういう「サッカーの見方」が再生されていけば、今は落ち込みつつある「サッカーという競技自体のリーチ力」も、再度回復してくるだろうと思います。日本経済における「あるべき連携の姿」ももっと見えてきて、ネット上に強烈な怨念が溢れかえっているような状況も改善していくでしょう。

この経営面での話は次回にでもこのサッカーやアメフトの話を離れてそれ自体としてブログで扱おうと思っていますが、結局そういう「共有了解」がなくなってしまった結果バラバラに個人が奮闘するだけで叩き潰しあいになってしまっている現状が今の日本の「働きづらさ」そのものなんですよね。

次回予告的な意味で以下の図を掲げておきますが(クリックで拡大します)
2017-01-31 01.33.47

共有文脈が消滅していると、個々人が頑張っているようでもお互いのイジメあいにしかなってなかったりする。「戦略」を考える人は「現場への浸透方法」がわからなくなってしまっているし、「現場レベル」の人は自分たちと同じ文法で話してくれない「戦略」とか言う奴らへの不信感で凝り固まっていってしまったりして。

で、これは私も組織の中で働いていた時にはできなかったじゃんという指摘は重々承知な上で言うんですが、

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「日本の会社ってほんと無駄な会議多くてクソ!」
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というつぶやきは、ツイッターでもブログでもフェイスブックでも毎日何百件と投稿され、それにつく「いいね!」の数も物凄い量だと思うんですが、そこに投入されている感情エネルギーのうち、どれだけが

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「どの会社の、どの会議が無駄で、それを減らした時の代替的な情報共有のやり方はどういうものがあるのか?」
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という「次のステップ」に進めているかは・・・かなり心もとないですよね。

でも、「日本の会社って・・・」みたいな超デカイ主語で吹き上がってても何も解決できないですよね。それを無理やり押し出していくと、残業減らせ!という掛け声だけトップダウンで降りてくるけど現場は何も変わってないので隠れ残業が増えただけ・・・みたいなことになる。

「日本の会社は無駄な会議ばっかりだ!」が「うちの会社のこの会議が無駄」に変わってこそ意味が生まれるわけです。

まあ、繰り返すようですが私も組織の中でサラリーマンとして働いていた時はなかなかそんなことできなかったですけど、でも実際に外から見てコンサル的に関わってみると、「こういう動き」って動き始めたら結構ホイホイ進んだりします。

担当者レベルでも、会社全体の流れを考えるとこうあるべきじゃないか?っていうのを言い出してみると、案外その「良心を共有」してくれる部署の人もいたりして、勿論何にでも文句つけてくるカスも沢山いるんですが、そういう奴らは黙殺しつつちゃんと話がわかる「現場の良心さん」的な実力者の賛同を多少粘り強く集めていけばある時点以降一気にラクになったなぁ!ってなることも多い。経営レベルからちゃんとそういう動きを後押しできたらなおスルスル進みだしたりする。

今は「日本の会社・社会ってほんとクソ!」か「日本の会社・社会はァァァァァ世界一ィィィ!!!」かどっちかで無駄に吹き上がってるエネルギーを、次第に次第にまとめていって、そういう「場づくり」「共有文脈づくり」に方向付けられるかどうかが今一番大事なことなんですよ。

よく同世代のクライアントの経営者と話すんですが、ある年代以降の若い世代の人間にとって、イナモリさんとかナガモリさんとかヤナイさんみたいな経営ってまずできないんですよね。それだけの「他人への教化力」を個人が持つという発想自体が既にかなりありえない文化的状況なので。

だからこそ、「強権的にトップダウン」ではなくて、「お互いの価値を活かし会える場を作る」というような発想で、「色んな立場の人が、お互いを活かしあえる工夫を出し合っていく」ような流れになんとしてでもしないといけません。

そうすることで「戦略レベルの思考」と「現場レベルの思考」が繋がりはじめないと、我々は上記の図の左側のようにお互いをグズグズと傷つけ続けることになってしまいます。

逆に言うと、「意味ある課題」を「組織に動機づける」ところまでやれば、放っておいても勝手に細部まで具現化していく力があるのが日本の組織であるとも言えるので、「その方法」さえ集団的に習熟すれば、今までの低迷が嘘みたいにスムーズに回り始める可能性だってあるんですよ。

サッカーの試合でも、良い感じに集中してるなーというチームは、相手の状況をよく見て、ちゃんと「会話」をしながら適宜修正してってますよね。

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・「ちょっとこの辺敵のディフェンス空く時あるから機会あったらこういうパス出してくれ」
・「今の危なかったな。何番の敵のこういう攻撃ヤバイ時あるから気にしておいてくれ」
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的な会話が「普通に」できている状態のチームは強いです。さっきの図の「右側」の状態ですね。

でも、浮足立っちゃってみんな殺気立った顔をしていて、なんかみんなお互いに「指示を出し合ってる」ような叫び声は聞こえてくるんだけどただ焦りを叫び声にかえてお互いを威圧しあってるだけで、全然双方向なコミュニケーションになってそうにないな・・・っていう時は、やっぱり駄目です。これがさっきの図の「左側」の状態で、多くの日本の組織はこうなってしまっていることが多い。

「日本のサッカーの未来」について、アメフトや野球との比較から考えてみることで、「日本社会のあるべき運営方法」についても、思いを馳せてみていただければと思います。

既にブログ一回分としてはありえない分量になってきたのでこのあたりで今回は閉じておきます。次回上記の図をもう少し詳しく見ていこうと思っています。

今回はあまりスーパーボウルの紹介記事っぽくなくなってしまいましたが、「アメリカが大揺れに揺れているこの時期」だからこそ、国歌斉唱やハーフタイムショーも含めて、目が離せない感じです。よかったら普段見ないアメフトを見てみるのも悪くないですよ?このブログ前半に貼った私の過去二回の紹介記事を参考にしていただければと思います!

(ちなみに本ブログの図はネットでの再利用自由です。特に今回の図は力作なんで、あなたのツイートやブログやフェイスブックなんかで使いつつお仲間との議論のネタにしていただければと思っています)

それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

今回も、「ブログに書ききれなかった話」をさらに別記事にしてあります(また今回も超力作です・・・話題の映画、遠藤周作&マーティン・スコセッシの沈黙・・の話から・・・ぜひご一読ください)。既に普通のブログとしちゃ結構長いですが、俺はまだ読めるぞ!という方は上記リンク先へどうぞ。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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