よい子のみなさんでも、きょう太陽が昇っているように、あすも昇ることは知っているでしょう。でもそれは本当でしょうか?
今から300年以上前に、デビッド・ヒュームという哲学者が「太陽があす昇らないという命題は、それが昇るという肯定命題と同じく意味がある」と書きました。これは当時はそれほど大事な問題だと思われてはいなかったのですが、その後どうしても否定できないことがわかり、ヒュームの問題と呼ばれるようになりました。
これはバカバカしい話みたいですが、物理法則は、数学と違って論理で証明できないのです。光の速度が宇宙のどこでも一定なのはなぜか、という問題もわかりません。20世紀の初めにアインシュタインがそういう仮説を立てるまで、だれも一定だとは思っていなかったし、今までより速い光がみつかるかもしれません。
万有引力の法則は「万有」だから宇宙のどこでも成り立つはずですが、これもニュートンの仮説で、だれも論理的には証明できません。宇宙物理学では、太陽系の外では万有引力の法則が破れているかもしれないという研究がおこなわれています。少なくとも、破れていないと考える根拠はありません。
論理学でむずかしくいうと、これは帰納という手続きがありえないことを意味します。帰納というのは、みなさんが学校でならう「100回実験して同じ結果だったら101回目も同じだろう」という経験則ですが、これは証明できない。物理学の法則は「今まで一度も例外がなかった」といっているだけで、次が例外かもしれません。
実はヒュームの問題は深刻なパラドックスで、物理学の定数のほとんどは必然性がないことがわかってきました。たとえば宇宙定数と呼ばれる数は、10のマイナス120乗(小数点のあとに0が120つく数)という非常に小さな値です。これがゼロだと宇宙は存在しません(引力で収縮してつぶれてしまう)が、なぜこの値なのかわからない。
宇宙が存在しないと、もちろん人間も存在しません。また生命が地球上に生まれたのは、40億年ぐらい前のたった1回の偶然だとされています。みなさんがこの宇宙にいるのは、宝くじに何億回も続けて当たるような超ラッキーな奇蹟なのです。
だから宇宙の存在は物理学で証明できませんが、物理定数はすべて人間に都合のいいようにできていると考えると説明できます。いま宇宙が存在するのはそれを見ている人間がいるからで、宇宙のいろいろな定数が人間に適した数値になっているのは当たり前です。
なーんだ、と思うでしょう。これはトートロジー(同じことのくり返し)で何も説明してませんが、人間原理(anthropic principle)とよばれ、ホーキングなどの有名な物理学者もまじめに研究しています。「宇宙という宝くじ」を何億回も引くには、それだけ多くの宇宙がないといけませんが、それは永遠に証明できないでしょう。
太陽はあすも昇るでしょう。それは太陽が毎日昇らなかったら、人類は生まれなかったからです。この宇宙が存在するのも、みなさんがそれを見ているからで、それ以外の必然性は何もありません。どんな不幸なときでも、みなさんがこの地球上に生まれた信じられない幸運を思い起こすと元気になるでしょう。