3/14を前に意識高い系の貴方にお勧めしたいコネタ

写真:ケンズカフェ東京にて撮影

これまで数回にわたり、チョコレートの歴史について紐解いてきたが、思いのほか反響があったので少々掘り下げてみたい。まず、チョコレート(当時はココア飲料)は高貴な飲み物とされ王様などの医薬品だったことをご存知だろうか。ホワイトデーを迎えるにあたり、意識高い系の貴方にお勧めしたいコネタである。

今回は、ケンズカフェ東京(東京・新宿御苑前)の氏家健治シェフ(以下、氏家)に、チョコレート業界の歴史について伺った。同店のガトーショコラは、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、TBS「ランク王国」、日本テレビ「ヒルナンデス! 」「おしゃれイズム」「嵐にしやがれ」などで紹介されたことがあるので、ご存知の方も多いことだろう。

■チョコレートは財力と権力の象徴だった

――チョコレートは、王族を中心に薬効のある飲料として飲まれていた。ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝であり、スペイン国王だったカルロス1世は、アステカを支配したエルナン・コルテスから既に報告を受けていた。

「アステカでは、カカオが現地で珍重されて貨幣と同じ役割を果たしていることが報告されていました。カルロス1世宛ての書簡に記されていたのです。同様の手記は、探検家、商人としても名高いコロンブスも残しています。スペインでもカカオが珍重されて利益を得るために商人を経由した上納がその後も続きました。」(氏家)

「またカルロス1世は、王族階級の飲み物ではなく、一般庶民にもカカオ飲料を飲む習慣を広めました。カカオは大衆的飲み物になり大きく需要が高まりました。」(同)

――カカオの飲み物は、中南米のマヤ、アステカでは、王族など上流階級の嗜好品だった。当時はどのようにして飲まれていたのだろうか。

「マヤ、アステカではカカオをすり潰してお湯に溶かして飲料にしていただけななので、単なるドロドロした茶色い苦い飲み物でしかありませんでした。スペインでは、これに砂糖を入れて甘味を加えて飲む方法が考えられました。スペインでカカオ飲料が本格的に浸透するのは、16世紀以降といわれています。」(氏家)

「当時、スペイン帝国は世界を席巻していました。とりわけ、16世紀から17世紀前はスペインが最も繁栄した時期であり『太陽の沈まない国』とも言われました。支配下のポルトガル宮廷には、『チョコラテイロ』と呼ばれるココアのプロフェショナル部門(役所の機関みたいなもの)が配置されました。」(同)

――そして、チョコラテイロには次の重要なミッションが与えられていた。

「2つの役割があったとされています。1つめが王族や宮廷貴族にココアを差し出すこと。2つめが王室で薬品としてカカオを処方したり備蓄することです。またココアを提供する会を演出し取り仕切る役割も担っていました。お菓子やコンフィチュール(果物の加工食品)などと一緒に、ココアは振舞われました。」(氏家)

「カカオは高価な貴重品でしたので提供できることは財力や権力の証でした。財力や権力を誇示するためのパフォーマンスにつかわれたと考えればいいでしょう。これが茶色いダイヤたる所以です。」(同)※『チョコレートの文化誌』(八杉佳穂著)にもいくつかのエピソードが紹介されている。関心のある方は参照されたい。

■チョコレートは滋養強壮薬だった

――その後、ココア職人専門の組合が形成され、良質なココアを販売するいくつかのグループが出現する。また医学的な見地も高められていった。

「栄養価の高いカカオは戦地の傷病兵の滋養強壮薬に用いました。カカオマスから成分を抽出し塗り薬にすれば皮膚薬としても処方できます。植民地の病院、軍船には皮膚病の治療薬として常備されていました。カカオの効能を正しく用いることで兵士の士気を高め軍事力の維持・向上にも貢献していたのです。」(氏家)

――今回は、ケンズカフェ東京(東京・新宿御苑前)の氏家健治シェフに、チョコレート業界の歴史について伺った。この機会に、先人が築いたチョコレートの歴史に思いをはせてはいかがだろうか。

尾藤克之
コラムニスト

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