国営企業と国有企業の違い

「石油公団とフランスのトタールは、同じような目的で国家の機関として設立されたのに、トタールはセブンシスターズに並ぶほどの大手国際石油会社に成長し、私たちの石油公団とは雲泥の差がある。この差が生じた理由は何だろうか」

1999年5月、地中海に浮かぶキプロス島で開催されたエネルギーコンフェランスでお会いした、筆者より10歳ほど若い石油公団プロパーの方の述懐である。

その前年の1998年秋に、堀内(当時の)通産大臣が「通産省の恥部 石油公団を告発する」という記事を『文藝春秋』(1998年11月号)に掲載し、世の中を騒がせていた頃のエピソードだ。

筆者が思うに、両者の違いは「事業主体であるかどうか」にあるのではないだろうか(弊著『日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか』第七章最後の「教訓は何か」の項、参照)。

3月24日(金)にFTが掲載した “Sinopec’s South Africa investment marks shift to overseas markets” (北京在住のLucy Hornby記者の記事)を読みながら、このエピソードを思い出していた。

国家が保有はしているが経営はしていないことから、「国営企業」ではなく「国有企業」を称される中国の三大石油会社は、確かな事業主体として経営を行っている。

記事が紹介しているのは、三大石油会社の一つであるSinopecが南アで精製販売事業に利益獲得目的で投資をした、というものだ。

もし日本だったら、国民の税金を投入している組織が、国家のエネルギー供給に直接的関係のない投資を行っていいのか、という議論がきっと起こるだろう。だが、トタールと石油公団と、どちらが国家に真の貢献をしたかは、火を見るより明らかだ。

今回のSinopecの投資が成功するかどうかは分からない。だが、国家が支配する組織の経営者に優秀な人材を据え、一切の権限を与えてやらせてみることは、我が国にも求められていることではないだろうか。

さて “China’s oil companies move downstream as bid for upstream assets stumble” というサブタイトルがついた記事の要点を、次のとおり紹介しておこう。

・中国の石油会社は、国内市場の伸びが鈍化し、魅力を失っていることから、海外の小売市場に焦点を合わせ始めている。

・今週Sinopecは、シェブロンから南アとボツアナのガソリンスタンド網と附設のコンビニに加え、ケープタウンの製油所権益の75%を、9億ドルで購入することで合意した。

・Sinopecは、エクソン、シェル、ルクオイル、クゥエート石油、タイのPTTなどと並び、自国外でもガソリンスタンド網を経営する大手国際石油の仲間入りをした。

・これは同時に、中国の国内需要を満たすための投資から、海外市場で純粋に利益を求めて行う投資にシフトしたことを意味する。

・約10年前、原油がブームを迎えていた頃、中国の大手石油会社は、国内需要を満たすために上流資産を大慌てで高値を払って買い漁った。これらの取引の多くが、その後の価格下落で利益が出ないものになったり、汚職腐敗があったと摘発されたりしてしまった。

・中国の上流戦略の後退は、中国メジャーとともに海外進出を行ってきた、香港に上場しているAnton Oilなど、多くの石油サービス企業を揺り動かしている。同社は、新彊省のタリム盆地で活動していたCNPCのチームから派生した会社で、現在は南米や中東で大手国際石油と競争して事業を行っている。

・2001年にSinopecの元役員たちが設立した石油サービス会社、Kerui Petroleumは、中国政府の「一帯一路」計画とともに事業を拡張しており、資金に困っている国営石油に対し、自分たちのサービスを受けるためのファイナンスも提案している。

・市場の動きが鈍ってきたため、外国石油会社も中国の上流部門や精製部門への投資から徐々に手を引き始めている。

・だが、国際的なオイル・トレーデイングや下流部門で競争することは決して容易なものではない。Sinopecは、アジアの石油市場でトレーデイングの柔軟性を確保しようと、シンガポールから12kmしか離れていないインドネシアのバタム島に、石油貯蔵・ブレンド施設を8億4,100万ドルかけて建造しようとしたが失敗してしまった。石油価格が下落したため、地元パートナーが行き詰ってしまったからだ。


編集部より:この記事は「岩瀬昇のエネルギーブログ」2017年3月26日のブログより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はこちらをご覧ください。