「大人になったら」という言い方を、親はよくする。「僕も自動車を運転してみたいな」と子どもが願望を口にすれば「大人になったらね」。「お酒を飲んでみたいな」「大人になったらね」。それでは「いつから大人になるの?」と聞かれたら何と答えるだろうか。
この問いに対して、わかりやすい回答があるので紹介したい。浄土真宗本願寺派僧侶、保護司、日本空手道「昇空館」館長も務める、向谷匡史(以下、向谷氏)の見解である。
■大人になったらは先送りの表現
――とりあえず先送りできる話は、「大人になったら」ですませることが多い。実際、そうとしか答えようがなく、成長を心待ちにする親心もあるだろう。
「子どもたちも、『大人になったら』という言葉を受け容れています。大人は、身体も大きいし、何でも知っているし、僕たちより偉い人といったイメージです。しかし、学年が進み、社会というものを次第に客観視するようになってくると、大人の身勝手さなども目につくようになってきます。」(向谷氏)
「無条件で受け容れてきた大人の権威が揺らぎ、『大人って、そんなに立派なのか? 大人って何なんだ?』という疑問をいだくようになるのです。」(同)
――「大人って何?いくつから大人になるの?」と問われたら、何と答えるべきなのか。
「『20歳になったら大人』と言うのも正解ですが、婚姻は女性は16歳、男性は18歳でできますし、選挙権が18歳に引き下げられ、それにともなって少年法の改正が論議されるなど、概念としての『大人』と『少年』の境界が曖昧になりつつあります。」(向谷氏)
「『法律で決まっていて、20歳になったら大人と認められるから』という説明では、説得力に欠けるでしょう。私は、子どもの自覚をうながすため、法律でいう大人と、人間としての大人を分けて説明します。」(同)
■立派な大人とそうでない大人
――向谷氏は次のように諭すそうだ。
「世の中には立派な大人もいれば、そうでない大人もいる。立派な大人とは責任感があって、約束をきちんと守ったり、頑張って仕事したり、人の役に立ったりする人のことだね。立派でない大人とは、平気で人を裏切ったり、怠けて仕事をしなかったり、ウソをついたり自分さえよければ人はどうでもいいという生き方をしている人のこと。」(向谷氏)
「ということは、20歳を過ぎて、法律的には大人でも、人間としては大人になっていない人もいれば、年齢は20歳になっていなくても、大人と呼んでいいような立派な若者もいるということになるね。」(同)
――そのうえで、キミも立派な大人になってほしいと結ぶのだそうだ。
「問題は、このことを話して聞かせるあなた自身が、子どもの目から見て『立派な大人』であるかどうかです。親は、子どもにとって『人生の師』です。育てるということは、身体だけでなく、全人格をも育むことであり、このことをもって親の責任だろうと私は考えています。」(向谷氏)
「自分は子どもたちから見て、尊敬される人間だろうか?。この自問を胸に刻み、常に問いかけることが必要ではないかと思います。」(同)
――なお、本書は子供向け教育に書き上げられたものだが、ケースにリアリティがあることから大人にもお勧めできる。上司のコネタとしても役立ちそうだ。多くのケースを理解することで物事の正しい道筋を見つけられるかもしれない。
参考書籍
『考える力を育てる 子どもの「なぜ」の答え方』
尾藤克之
コラムニスト
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