最後のソ連最高指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏は、欧米が冷戦の勝利国としてその版図を東方拡大していったことに対し、「西側は本来、冷戦の勝利を静かに祝うべきだった」と指摘し、ロシアと欧米諸国の現在の緊張関係について、「責任は西側にある」と主張している。ゴルバチョフ氏の主張は一理ある。勝利者は常に謙虚でなければならないからだ。
ただし、政治の世界では「謙虚」とか「愛」といった言葉は異国語であり、「強いか」、「弱いか」が決定する世界だ。人類の初期から今日まで強い者、民族、国が支配してきた。冷戦時代も例外ではなかった。欧米民主主義国と共産主義国との対立だった。その結果、民主主義諸国が勝利し、共産主義陣営の盟主、ソ連が解体することで勝敗ははっきりとした。
プーチン大統領は、「オバマ前米大統領がロシアはもはや重要性を失った地域の大国に過ぎなくなったと発言したことを今も忘れることができない」と述懐したという。プーチン氏はソ連の解体に今なお、激しい屈辱感を持っている。敗戦国の正直な告白かもしれない。
ところが、肝心の勝利国側の欧米諸国は、移民問題やイスラム過激派テロ問題、麻薬問題、同性愛問題など道徳の淪落などさまざまな問題に直面し、冷戦時代のような緊張感を失ってきた。
冷戦後、政権に就いたプーチン氏が「ロシア民族の復活チャンス」と受け取ったとしても不思議ではない。プーチン氏は敗者復活戦に臨むスポーツ選手のような心意気なのかもしれない。
ゴルバチョフ氏は欧米社会とロシアの現状に強い危機感を持っている。その主因は「(勝利国側の謙虚さと愛のない)西側にある」と断言する。そしてプーチン氏の屈辱感をひょっとしたら誰よりも理解している。
冷戦時代の戦いを従来の「強弱」の哲学でみるならば、強い側が勝利し、弱い国は敗北せざるを得ない。そして21世紀に入って、欧米諸国とロシアの関係が再び緊迫してきた今日、勝敗はやはりその強弱で決定されると予想せざるを得ない。だから、冷戦時代が再現した場合、両陣営は戦力の拡大に腐心せざるを得なくなるわけだ。
当方は、冷戦時代の戦いは、「強弱」の戦いではなく、本来、「善悪」の戦いではなかったか、と考えている。史的唯物論の歴史観、世界観、人間観を有する共産主義世界と、神を主導とする民主主義世界の対立ではなかったか。レーガン大統領は当時、ソ連を「悪の帝国」と喝破し、その世界観を「間違いだ」と訴えた初めての政治家だった。政治の世界に「善悪」の価値観を導入した、という意味で、画期的だった。
ゴルバチョフ氏は冷戦時代の再現の様相を深めてきた主因は「西側の責任」という。その指摘は正論だろう。勝利国の民主主義社会がその本来の価値観を失い、腐敗し、堕落していったことで、冷戦後の社会秩序建設に乗り出すことができなくなったからだ。
敗北国が欧米社会の現状をみて、そのようなだらしない西側に敗北したことに激しい屈辱を感じる一方で、「よし、今度こそ西側を破る」と考えたとしても当然かもしれない。欧米社会は冷戦終焉後、その勝因をゆっくりと分析しなかった。これこそ「西側の責任」だ。
ここで問題は、「ソ連は当時、米国をはじめとした欧米諸国より弱かったから、敗北した」のではなく、共産主義の世界観が間違いだったからだ、ということだ。狡猾な共産主義者ならば、その敗北を強弱から分析し、善悪で判断することを回避するだろう。
間違いは誰にもある。共産主義は間違った思想だった。だから、その世界観、歴史観から決別し、再出発すればいいだけだ。プーチン氏のように激しい屈辱感を持つ必要はないのだ。
過去の恩讐からプーチン氏を解放する道は、核軍備の強化でもサイバー戦争でもない。共産主義思想が間違ったイデオロギーだったことを冷静に、静かに説く指導者が出てくるべきだ。旧ソ連・東欧共産圏でみられる「宗教」の復活はそのことを実証的に物語っている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年4月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。