既得権としての「平和憲法」の終わり

JBpressにも書いたように、安倍首相の憲法改正案は安保法制による解釈改憲の追認で、ほとんど「公明党案」ともいうべきものだ。これは従来の自民党案とはまったく違うので党内でも当惑が大きいようだが、よく考えられた案だと思う。

自民党には「押しつけ憲法」を全面的に改正して「自主憲法」を制定すべきだというルサンチマンが根強いが、これは誤りである。1950年と51年の2度にわたってダレス国務長官は吉田茂首相に再軍備を要求したが、吉田は拒否した。つまり日本は国家意志として日米同盟にただ乗りするという戦略を選び、アメリカもそれに同意したのだ。

これは当時としては賢明な判断だった。1950年から朝鮮戦争が始まっており、日本が再軍備しても貧弱な戦力で自衛することは困難だった。また警察予備隊の幹部の多くは旧軍の関係者で、クーデタ計画などもあったので、フルスペックの軍隊をもつのは時期尚早だというバランス感覚は悪くなかったが、そのあと改正するチャンスを逃してしまった。

再軍備の否定は日米同盟とワンセットで、在日米軍の駐留も吉田=ダレス会談で決まった。これが占領統治の延長だという批判は正しいが、安保条約は別の意味で不平等条約だった。それはアメリカが日本を防衛する一方で、日本はアメリカ防衛の義務を負わない非対称な軍事同盟である。

つまり日米同盟は、日本は主権国家としてのプライドを満たせず、アメリカは一方的に他国を防衛する、どっちにとっても不満な同盟だが、どっちが損したかといえば、明らかにアメリカである。在日米軍基地は第3次世界大戦の前進基地として設置されたので、その脅威がなくなったら米軍は撤収すべきだったが、できなかった。

他方、日本はただ乗りに慣れてしまい、60年代以降の自民党政権は、票にならない憲法改正をいわなくなった。アメリカは「過剰設備」になった米軍基地を縮小して日本に東アジアの防衛責任を肩代わりさせようとしたが、日本は1972年に「集団的自衛権は行使できない」という政府見解を出し、ただ乗りを守った。

つまり憲法は押しつけられたのではなく、自民党政権が既得権として守ってきたのだ。アメリカの核の傘がある限り、自衛隊は最小限度でも抑止力は十分あるので、第9条を改正するかどうかは大した問題ではない。これに対するアメリカの不満は強く、日本に応分の責任を負担するよう求めてきた。

憲法を改正する最大の理由は、こうした日米の「貸し借り」を清算し、日本が国家として自立することだ。それは今ではシンボリックな意味しかないので、「加憲」でもかまわない。むしろ自衛隊員が「人殺し」などと呼ばれる状況を是正し、軍人を尊敬される職業にすることが最大の意味かも知れない。