香港の行く末を憂えぬ日本に民主主義を語る資格はない --- 半場 憲二

香港の「六四祈念館 再オープン」という知らせを聞き、5月7日に訪ねてきた。この祈念館には1989年6月4日の「天安門事件」の写真・資料などが展示されている。事件から25周年となる2014年4月26日、古いビルの5階に常設型の祈念館として開館、昨年7月11日に閉鎖するまで中国大陸からの旅行客をはじめ、2万人ほどの来館者が訪れたという。

祈念館の閉鎖を伝える当時のCNNニュースによると、「運営団体はビルを所有する法人からの圧力で閉鎖に追い込まれたと述べた。同団体は、オーナー側がこれまで来館者に名前や個人情報の記入を義務付け、人数を制限するなどして運営を妨害してきた」と主張する。その一方で、「オーナーの代表者は中国当局からの政治的圧力は『断じてない』と主張。記念館を訴えた理由として、来館者が突然増えた場合の安全面の懸念などを指摘」した。ビルの入り口は狭く、ロビーすらない。一階のエレベーター前は非常に狭く、大勢の人が一気に押し寄せるような構造になっていないし、それこそ警備員が入場制限をすればよいことだ。また、実際に古い建物なのだから「改修工事」や「建て替え」を検討していると言えば済んだ話だ。訴える必要があったのか?

私もこれまで何度も足を運んできた。一昨年くらいから個人情報の記入が必要となった。知らん顔をしようにも警備員が記入をすすめてくるのでどうにもならない。人間というのは不思議なもので、ペンを持って紙に向かうと嘘はつきづらいものだ。何でもサインで済ませる文化圏に暮らし、8年になる。慣れていたとはいえ、警備員と監視カメラの前で氏名や身分証明証番号を記載させられる上、その情報が何に使われるのかわからない。来館者が不安がる気持ちも理解できる。徐々に減っていくのも無理はない。

それが場所を変えて再オープンしたのだ。小さなニュースではなかろう。現在は香港の地下鉄「石硖尾」駅のC出口から右へ直進し、徒歩7分~8分のところにある建物 「賽馬會創意藝術中心」(30 Pak Tin Street 3413 Shek Kip Mei, Hong Kong, The Jockey Club Creative Arts Centre,JCCAC)の2階だ。

個人情報の記載は不要だ。再オープンは6月15日までの暫定的措置で、館員に直接確認したが、「その後どこへ移動するかは不明だ」という。再開したばかりであるが、広めにスペースを借りているところから、今後の運営資金に目処が付けば存続すると思われるし、質量ともに充実してほしい。

「30年以上にわたって中国についてリポートしてきた作家のジェイムス・マンは、中国が自由を重んじる民主主義にスムーズに移行するという『心地よいシナリオ』は幻想だったとわかるだろう、と予言し、こう警告する。---20~30年後、中国は今よりはるかに経済力のある強大な国になるだろうが、なおも「反政府活動家や対抗する政治勢力に敵意を持ち続ける」共産党に支配され、世界の抑圧的な政権を支持し、アメリカと激しく対立するだろう。」(Michael Pillsbury『China 2049』訳:野中香方子、日経BP社2015年、P15)

著者のマイケル・ピルズベリー氏はニクソン政権以来、30年にわたって中国専門家として政府機関で働いた人物で、中国側要人との交流も多い。元々は「パンダハガー(パンダを抱く人)」、つまりアメリカの政策形成に影響のある「親中派」の一員だったのだ。その彼が今日の中国の見方を変えたのである。こうしたなか日本のマスメディアのほとんどが、この「新・六四祈念館」を取り上げようとしないのは、何故なのか?国境なき記者団の2017年「報道の自由度ランキング」では72位と下位に甘んじているが、「自主規制ランキング」があれば上位に食い込むに違いない。

中国共産党を甘く見てはならない。彼らにとって、政治は「流血を伴わない戦争」に過ぎない。香港の行く末を憂えぬなら、われわれ「日本」に民主主義を語る資格はない。

半場 憲二(はんばけんじ)
中国武漢市 武昌理工学院 教師