最近、改めて「リベラリズム」とは何かについて考え直している。ジョン・ロールズが『正義論』を執筆して以来、「リベラル」の意味が変容してしまったが、ロールズ以前のリベラリズムを再評価すべきではないかと思うのだ。翻って、日本において、現代にも通じうるリベラリストとは誰かを模索していくと、やはり、河合栄治郎に辿り着く。
本書は河合栄治郎の生涯を丁寧に描き出した傑作で、河合栄治郎という一人の愛国的な自由主義者の姿を見事に現代に蘇らせている。河合栄治郎は、文字通り左右の全体主義と闘った思想家だった。
若き日の栄治郎は、大学の研究室で二冊の本を読み、「涙なくして閉じることは出来ない」と衝撃を受けた。女工の虐待や蹂躙に関する実例が生々しく描かれた書物だった。こうした弱者への眼差しが栄治郎の自由主義の根幹である。彼は官僚として労働問題を是正すべく農商務省に入省する。異例の出世を遂げたが、栄治郎の目的は栄達それ自体にはない。あくまで労働問題の解決こそが栄治郎の願いであった。
官僚組織に見切りをつけた栄治郎は官を辞し、紆余曲折の後に東京帝国大学の助教授に迎えられる。ここから栄治郎は左右の全体主義と対峙する論陣を張ることになる。大正時代に知識人の間で流行したマルクス主義を栄治郎は果敢に攻撃した。後に二・二六事件等軍部が台頭し、言論の自由を弾圧し始めると、栄治郎は猛然と軍部を批判し始めた。彼にとって守るべきは「自由」に他ならなったからである。
内務省は栄治郎の著作を禁書とし、栄治郎は大学を追われ、危険思想の持ち主として刑事被告人ともなった。
軍部を猛然と攻撃し、体制から危険視された栄治郎は、対英米戦争にも反対していた。だが、大東亜戦争が開始されると、勝算に関しては極めて悲観的でありながらも、「祖国の運命に対して、奮然として起つことのできない国民は、道徳的の無能力者である」と断じて、祖国のために闘う重要性を説いた。
社会的弱者への愛情、左右の全体主義と闘う気概、幅広い読書に裏打ちされた論理、そして、祖国への燃え上がるような愛国心こそが栄治郎の真髄であり、リベラリストの条件に他ならないであろう。
本書を貫く通奏低音は栄治郎が愛したというフランスの科学者パスツールの言葉だ。「学問に国境なく、学者に祖国あり」。学問を論究する際、国家は無関係だ。だが、学者もまた一国民であり祖国と無関係には生きられない。栄治郎の生涯こそ、混迷するリベラルたちに打開策を示唆しているように思われてならない。
※本書評は『正論』五月号に掲載していただいた書評です。一人でも多くの方に本書を読んでいただきたいと思い、ブログに転載することにしました。
【講演会の告知】
演題「本物のリベラルとは何か?~今こそ河合栄治郎を!~」
戦前の日本において、マルクス主義を徹底的に糾弾し、軍部による言論弾圧とも戦った「戦闘的自由主義者」河合栄治郎の生涯、そして主要著作を読み解くことによって、現代日本の迷走する「リベラル」とは全く異なる「リベラリズム」について考えます。
なお、講演に先立ち、雄弁会まほろば学生による意見発表が行われます。
演題は「現代日本の課題と私の夢」。現役学生による主張に耳を傾けていただければ幸いです。
参加費 社会人 3000円
学生 1000円
主催 大和大学雄弁会まほろば
後援 一般社団法人 日本歴史探究会
お申し込みは こちら よりお願いいたします。
編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2017年5月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。