処女の“市場価値”暴落と女性の社会進出を考える

コンビニ等で男性雑誌を立ち読みしていると(せこい?)、昨今のアイドル(グラビアアイドル)たちが巨乳を「売り」にしているのが目立ちます。「いくらなんでもデカすぎじゃないか!」と思ってしまう時すらあります。

ところが、「週刊現代」や「週刊ポスト」などの総合週刊誌に掲載れる、1970年代アイドルの「懐かしい写真」特集を見ると、多くのアイドルたちが「貧乳」(この表現は不適切かもしれませんが)であることに驚かされます。

当時アイドルだった(過去形にて失礼)アグネス・チャンは、「清楚なイメージを壊さないよう、胸にサラシを巻いて巨乳を目立たせないよう命じられた」と書いていました。

アイドルやタレントの分野について、私は全くの素人なので大きな誤解があるかもしれませんが、昭和の時代には清楚さ、処女性がアイドルの必須条件だったのかもしれません。

もちろん、アグネス・ラムのように肉感性を「売り」にしていた人たちもいましたが、彼女はあくまでグラビアアイドル。テレビに登場するアイドル歌手の多くは「清楚な処女性」を全面に押し出していたように感じます。巨乳の河合奈保子さんは、「西城秀樹の”妹”」という位置づけで「清楚な処女性」を維持したのでしょう。

「清楚な処女」がもてはやされた背景には、男性中心主義社会があり、女性は「清楚な処女」のままお嫁に行って子供を産み育て、夫が仕事に打ち込める家庭をつくるべきだという規範が蔓延していたからでしょう。

昔の英国でも、男性中心の社会意識と法規範が一般的だったようです。「ダウントン・アビー」という名作ドラマには、貴族階級の娘が処女でないという噂が広がって結婚が困難になるという場面が出てきます。もっとも、時代背景は戦前ですが…。

話を数十年前の日本に戻すと、結婚前の女性は処女である方が明らかに結婚条件がよく、息子の結婚相手である女性の素行調査を行ったお金持ち家庭も少なからずあったようです。

女性誌には、処女膜再生手術の広告がたくさん出ていたと聞いています(伝聞なので確証はありません)。かように、結婚市場における処女の価値はとても高かったのです。「処女は清楚だ」というイメージが蔓延していたことから、清楚なイメージのある貧乳アイドルがもてはやされたのでしょう。

では、いったいどの時点で処女の市場価値が暴落したのでしょうか?
素人なりに考えてみると、バブル時代がターニング・ポイントだったと思っています。「アッシー君」「メッシー君」を従えて、時々ご褒美に体をあげるというバブル女性がいたと聞きます。残念ながら、私には経験がありません。

松田聖子さんが、結婚し出産後も「ママドル」として芸能界で活躍したのもバブル時代前後だったと記憶しています。それまでのアイドルたちには、山口百恵さんに代表されるように、「結婚して処女でなくなったら引退」という既定路線があったのではないでしょうか? 演技力が重視される映画界の女優さんたちは少々事情が異なっていましたが…。

「処女のままお嫁さんになって夫の(仕事の)ために円満な家庭を作る」という呪縛からの開放が、女性の社会進出を開いたと考えます。テレビから流れるママドル松田聖子さんの活躍は、その勢いに拍車をかけたことでしょう。

処女の市場価値が暴落したことで、離婚、再婚も容易になりました。女性が男性と同等に社会で活躍できる意識改革は、ほぼ完了していると考えます。

にも関わらず、女性の社会進出を妨げているのは「男社会のルール」です。「誰よりも早く出社して誰よりも遅くまでい残っている奴が偉い」「酒の付き合いの悪い奴は出世しない」「休日でも出てくる奴ほど愛社精神が旺盛だ」…等々。いまでも暗黙の了解のようになっています。

社会における女性の活躍の場を提供し、新たな価値を創造していくために今必要なことは、「男社会のルール」にしがみつこうとする社会や企業の意識改革だと私は考えています。女性の方の意識改革は既に出来ているのですから。

荘司 雅彦
幻冬舎
2016-05-28

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年5月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。