カールとマルクス

常見 陽平

コンビニでカールを探してみた。置いていなかった。例の発売地域見直し報道でバカ売れしたのではなく、もともと置いていなかったのだろう。あまり大きなお店じゃなかったし。SNSを覗くと「カール、買えた!」という投稿が目立った。「特需」とも言えるだろう。もっとも、日常的に買っていて惜しむ人と、この報道で久々に買った人がいるのだろうけど。

カールが好きかどうかで言うと、普通だ。いや、あの口の中にスナックがこびりつく、微妙な手触りなど、感覚的なことばかり思い出していた。「それにつけてもおやつはカール」と言われても、幼い頃か「そう言われても」と感じたものだ。なんだろう、この言いっ放しは。「やめられないとまらないカッパえびせん」と言われても、それほどの中毒性はなく。まぁ、いい。

もっとも、改めて「庶民が日常的に食べているものが売り場から消える」というのは、いつもニュースになるものだなあと感じた次第だ。ここ数年だと、ペヤングが害虫混入疑惑で売り場から消えたり、カルビーや湖池屋の一部商品が材料の調達の関係で消えたり。これって現代の米騒動だな。食に関わる問題が起こった時に、人は暴れだす。この手のスナック菓子やインスタント麺に限らず、野菜や魚の価格が高騰するだけで、庶民の不満は高まってしまう。

カールという商品名と、カール・マルクスの名前が重なっていることに、私は偶然のような必然を見出してしまった。マルクスは、理念や理想として人間を覆っているものを突き破って、人間の基盤を明らかにしようとした。人間の精神的活動は、経済・社会の状況から切り離すことはできない。このカール騒動にも通じるものがある。あのおじさんにしても、労働者は想起してしまう。

今後も、このようにスナック菓子や即席麺が売り場から消えるたびに、人は騒ぐのだろうな。気づけばお菓子を食べない生活を送っているのだが。とはいえ、物質に支配されていることには変わりはない。


最新作、よろしくね。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2017年5月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。