フランスで今月11日と18日、国民議会(下院)選が実施される。エマニュエル・マクロン新大統領は自身の政治運動「アン・マルシェ!」(En Marche!=進め!)の支持者を全577選挙区に公認候補として擁立し、単独過半数の議席獲得を目指す。
マクロン大統領は大統領選でも「左派、右派のイデオロギーに捉われず、適材適所に人材を配置したい」と主張してきたこともあって、下院選の候補者には共和党関係者から社会党関係者、専門家たちが選出されている。彼らの世界観や政治観は多種多様だが、共通点はマクロン大統領の政治を支持するということだ。
オーストリアでも10月15日、前倒しの議会選挙が実施されることになった。このコラム欄でも紹介したが、与党の国民党のセバスティアン・クルツ外相はマクロン大統領と同様、既成の政治、政党システムでは国家を刷新できないとして、既成政党の枠組みに捉われない立場を明確にし、総選挙では「リスト・セバスティアン・クルツ、新しい国民党」(Liste Sebastian Kurz-die neue Volkspartei)という呼称で戦う。これまたマクロン大統領の政治運動「アン・マルシェ!」と酷似している。
マクロン大統領は39歳、銀行家としてキャリアを積んだ後、オランド前政権で経済相を歴任してきた。一方、クルツ外相は27歳で欧州最年少の外相に就任して以来、着実に政治経験を重ねてきた。両者ともまだ30代の政治家であり、既成政党から出てきたが、改革派として高い人気を誇っている点で似ているわけだ。
独週刊誌シュピーゲル(5月20日号)のトビアス・ラップ記者は「若き英雄たち」というコラムの中で、「欧州は現在、既成政党がその影響力を失う一方、個人のパーソナリティが前面に出た政治に直面している」と指摘、“ハイパー・パーソナル化”(Hyperpersonalisierung)と呼んでいる。この傾向はフランスやオーストリアだけではなく、政権奪回を狙うイタリアのマッテオ・レンツィ前首相にもみられるという。
仏大統領選(第1回投票、4月)では、中道右派「共和党」のフランソワ・フィヨン元首相(63)は19.7%、オランド大統領の出身政党・社会党が推すブノワ・アモン元厚相は得票率6.2%と2桁を割り、歴史的敗北を喫した。それに先立ち実施されたオーストリア大統領選でも同じように、社会民主党と国民党の2大既成政党が擁立した候補者が第1回投票で苦杯を舐め、決選投票に進出できずに終わった。既成政党の後退はもはや止めることが出来ない。
それではマクロン大統領やクルツ外相のハイパー・パーソナル化された政治はどうか。その政治信条が国民に正しく理解されているというより、イメージが先行し、肝心の政策や政治路線が不明確な点も少なくない。
ハイパー・パーソナル化の政治は果たして長期的に定着することができるだろうか。マクロン氏の「アン・マルシェ!」、クルツ氏の「新しい国民党運動」も時間の経過と共にその鮮度を失い、既成政党化する運命から逃れることが出来ないのではないか。「政党」から「運動」に衣替えし、その後、再び「政党」となって戻ってくるのではないだろうか。
ちなみに、代表作「素粒子」が日本語にも翻訳され、最新作の「服従」で話題を呼んだフランス作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏は「国民がどの人物、政党に投票するかの最終要因はその人の世界観ではない。その人が社会でどの階級に属しているかが決定的だ」と述べ、「自分は豊かな階級に属するから、(自身の階級を脅かす)極左党は支持しない」と語っている。すなわち、多くの有権者は政治的右派か左派といったイデオロギーや世界観から投票するのではないというのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。