【映画評】20センチュリー・ウーマン

1979年、アメリカ、カリフォルニア。15歳の一人息子ジェイミーを育てるシングルマザーのドロシアは、思春期の少年の育て方で悩んでいる。そこでドロシアは、ルームシェアしているパンクな写真家のアビーと、近所に暮らすジェイミーの幼なじみのジュリーに相談し、ジェイミーの教育と成長を助けてほしいと頼む。多感な15歳の少年が、3人の年上の女性と過ごす、特別なひと夏が始まった…。

70年代の南カリフォルニアを舞台に3人の年上の女性とのさまざまな経験で成長していく少年の姿を描く「20センチュリー・ウーマン」。監督のマイク・ミルズは、秀作「人生はビギナーズ」で、ゲイであることを晩年にカミングアウトした父親を、ユーモアを交えたあたたかなまなざしで描いたが、本作で描くのは自らの母親のこと。ミルズ監督の半自伝的な作品だけに、影響を受けた時代背景やカルチャーなど、彼の少年時代の思い出がたくさん詰まった内容は、もう二度とは戻れない“あの頃”へのノスタルジーが感じられてちょっぴり切ないテイストが特徴的だ。

“大恐慌時代の女”こと、55歳のドロシアは、自由な考えを持つシングルマザーだが、自らの保守的な道徳観に屈折したコンプレックスを抱いている。ジェイミーにとっては、この個性的な母親が最も影響力が大きいが、他の2人の女性も負けていない。20代半ばのパンクな写真家のアビーはジェイミーにNY仕込みのポップ・カルチャーとフェミニズムの本質を教える自由奔放な姉貴のようだし、17歳のジュリーは、友達以上恋人未満の存在で、ジェイミーにはリアルな女の子と理想の恋人が混在するファンタジックな美少女だ。ジュリーときたら、添い寝はするが、男女の関係になってジェイミーとの友情が壊れることを恐れているという悩ましい存在でもある。こんな異世代の女性3人を、アネット・ベニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニングという超強力トリオの女優が演じるのだから、それだけでも引き込まれる。

パンクな生き様を見せるガーウィグや小悪魔美少女のファニングもいいが、やはりベニングの貫禄と哀愁が頭ひとつ抜けていた。ティーンエイジャー特有の不安やとまどい、性の悩み、生きることの難しさなどを、女性たちは、時には失敗やとまどいさえさらしながら、導いてくれる。彼女たちが正直で自然体だからこそ、監督のパーソナルな思い出は、普遍的な物語に昇華していくのだ。トーキング・ヘッズをはじめとする70年代を代表す音楽が効果的で、反抗期の少年時代を描く私小説的な映画でありながら、同時に、70年代というフェミニズムの時代を生きる3世代の女性を描く女性映画として、出色の出来栄えとなった。
【70点】
(原題「20TH CENTURY WOMEN」)
(アメリカ/マイク・ミルズ監督/アネット・ベニング、エル・ファニング、グレタ・ガーウィグ、他)
(女性映画度:★★★★☆)


この記事は、映画ライター渡まち子氏のブログ「映画通信シネマッシモ☆映画ライター渡まち子の映画評」2017年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。