小林麻央に見る癌と闘うキーワード:人生の物語と実存

フリーアナウンサーの小林麻央さんの訃報が全国を駆け抜けています。乳癌のステージⅣと診察されて、「生きたい」という強い意志を持って闘病生活をブログで発信していました。寛解(元通りの暮らしに戻れる状態)を信じて前向きに闘病する姿勢が多くの人の共感を呼びました。応援していた方も多かったことでしょう。ご冥福をお祈りします。

癌は日本で最も多い死因

日本人の死因は男女とも約30%が悪性新生物,すなわち癌です。癌の最も怖いことは自覚症状なく進行することです。初期は熱が出るわけでも、気分が悪くなるわけでもありません。体の奥底でひっそりと私たちの寿命を削るのです。発覚した時には余命数ヶ月,いえ数週間ということもあります。これがいわゆる「ステージⅣ」の癌です。

ステージⅣの本当の恐怖は…

ステージⅣは「近いうちに元通りの暮らしができなくなるだろう」という状態です。人生は日々の暮らしの積み重ねです。日々の暮らしの中で私たちの多くは「来月は…」,「来年は…」と未来を思い浮かべています。未来とはすなわち「希望」です。実は私たち人間は希望に導かれて生きる動物です。希望を失うということは、その時点で命を失うに等しいのです。

希望を失った状態は絶望と呼ばれますが、絶望がどれだけ苦しいか、みなさんも本能的に察していただけることでしょう。ステージⅣの癌の本当の怖さは、私たちの希望を打ち砕くことなのです。昭和の医療では告知をせずに、寿命のギリギリまで希望を持ち続けてもらっていました。ですが現代は「残された寿命を大事に使いたい」という人が多いので、余命の告知が主流になっています。告知するべきか否か、専門家の間でも議論が残る難しい問題ですが、思い残すことなく旅立つには告知は必要なことなのかもしれませんね。

寛解を信じるだけではダメ

では余命含みで癌が発覚したら私たちはどうすればよいのでしょう。小林麻央さんのように寛解を信じて希望をつなぐ生き方も一つです。もちろん寛解の可能性が1%でもあればそのために全力を尽くすべきでしょう。でも信じ続けて闘病した小林麻央さんも最後は力尽きました。寛解を信じるだけでは、何かが足りないのかもしれません。

人生は物語である

ここで大事なことは私たちの人生は一つの物語であるということです。物語が完結しないままに亡くなってしまうのは寂しいことです。余命が見えてきたら、自分の人生という物語を完結に導いて、より価値あるものにしたいですね。ブログによると小林麻央さんは「力尽きるまで癌と闘い抜く」という人生のラストステージを選んだようです。むやみに寛解を信じていただけではないことはブログの端々から伝わっていました。勝ち目の乏しい闘いでしたが、そこに挑む勇気がこの物語の意味でした。すなわち、最後の物語は完結したといえるでしょう。

人生の最後は実存を抱きしめて

人生に意味を与えることを、心理療法では「実存」といいます。癌に関係なく、命はいつか必ず尽きるものです。癌に注目して余命を生きるのではなく、最後の瞬間まで自分の人生を生きたいものです。小林麻央さんのようにラストステージを見出すのも一つですし、今まで生きてきた物語を振り返ってその意味を見出すことも一つです。家族や子どもに未来と夢を託すのも一つの物語です。いずれにしても最後の瞬間に人生の物語という実存をしっかりと抱きしめながら旅立ちたいものですね。

杉山崇

神奈川大学人間科学部教授

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