石破茂前地方担当相・応援演説全文②

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4.対立からは、何も生まれない

私たち自民党は、単に対立をすればいいとは思っていません。
知事の悪口を言って票が入るなんて思っていません。
対立からは何も生まれない。

二元代表制といって、知事も都民の代表です。都会議員も都民代表です。
どっちも都民の幸せを考える以上、接点がない、なんてことは有り得ない。
必ずその接点を見出すのが都議会の役割であって、単に対立だけすればいい、私たちはそう思っていません。

中には、対立が大好きな人もいます。喧嘩が大好きな人もいます。
火事と喧嘩は大きな方がいい、そんな事はありません。

川松は、単に対立を煽るような、そんな政治家ではありません。
知事は何を言っているのか。都民は何を求めているのか。
その接点を見出す役割が政治なのであって、喧嘩ばかりしているのが政治ではありません。

誰が、それができるか。
それは、常に正論の川松真一朗が、この墨田から、東京都の幸せの実現をして参ります。

5.ものづくりの町・墨田

ものづくりの町・墨田でもあります。
ある一定以上の年齢の方は『下町の太陽』という映画があったのをご存知ですか。
ご存知ですか、そうそう、倍賞千恵子さんね。1963年、昭和38年、オリンピックの前の年。
そうですか、お生まれになった年ですか、存じませんでした(会場笑)。

あれは、墨田区の洗剤工場のお話なのですね。
もうあれから随分年数が経ちましたが、やはりこの墨田は物づくりの町であります。
面積あたりの工場の数、23区中第1位ですから。
働く人の町であり、物づくりの町であります。それを大事にしていかなければなりません。

ヨーロッパにも、どんな名門にも負けない靴がつくれるのも、この墨田区であります。
私は外国の人が来ると、あんまりお金がないんで高い物はあげられないし、あげてもいけないんですが、大体おみやげは「江戸切子」を使うことにさせて頂いております。

外国の人が一番よろこぶ、そういうものが作れるのも、この墨田であります。
スカイツリーだけが、墨田なのではありません。
この墨田は、たしか27、博物館があるんですね。
そんなところは23区中、そんじょそこらに有りはしません。
「それはお前、江戸東京博物館だろう」って言うんですけど、それだけではありません。
なんとこの墨田には、ブレーキの博物館がある。これ、日本でここだけね。
切子の博物館もここだけね。たばこと塩の博物館も、ここだけね。
あるいは、屏風の博物館なんてのもここだけね。

名刺の博物館がなんでここにあるのか知らないけれども、名刺と紙の博物館があるのもここだけね。
これ、27を全部言ってたら時間がないので言ったりしませんが、「ここにしかないもの」ってのが沢山ある。
それが墨田区です。

6.墨田発で都政を考える

「ふるさと納税」ってのがありましてね。
東京の人、税金を納めるならあれ、税金だっていうから変なことになっている訳で、本質は寄付金控除なんだけどね。

北海道や九州や東北や、そういうところに寄付をしてくださいなの。そうすると税金が安くなりますよ、というのがふるさと納税だと思っている人が一杯いる。それはそうではないのであって、これから先東京は、もちろん、もしご縁があれば鳥取県にもふるさと納税をしてもらいたいんですが、この墨田も、いろんなここにしかないもの、ってのが有るじゃないですか。切子でもそうでしょうよ。

いろんな「墨田にしかないもの」で、全国の人たちから、出すばかりじゃなくて寄付を集めようよ、区長さんが一生懸命取り組んでいるところであります。

私は、東京は東京、地方は地方だと思わない。
人口が伸び、経済が伸びていた時は、東京は東京、地方は地方。地方は地方で東京の悪口を言っていれば良かったし、東京は東京で、もう地方は養えないなんて言ってりゃ良かったんです。
お互いが対立をしていれば良かった時代でした。

だけどこれから先は、そんな事は言ってられない時代なのです。
東京は、地方のために何ができるか。地方は、東京のために何ができるか。
都政と一緒で、お互いが対立していては、どうにもなりません。
(聴衆、静寂に包まれる)

この墨田に、大勢の人がやってくる。そういう町づくりをやらなければなりません。
そして、墨田のいろんな幸せを、地方も分かち合えるよう、そういうような日本にしていきたい。
私たちは、そのように思っています。

先ほど申し上げたように、この築地をどうするかだけが争点なのではありません。
私は、そういうような中央卸売市場ってのは二か所に分散しちゃ駄目だと思っている。
一か所にした方がよっぽど機能は充実するし、よっぽど効率的だし、よっぽど金はかからないし、都民の幸せになると私は思います。

そのことを、きちんと都議会の場で訴えていくのも、川松真一朗なのであります。

ですから、それだけが争点なのではなくて、この墨田、いかに安全な町にするか。
いかに若い夫婦にとって、若い人たちにとって幸せな町にするかなのであります。

7.超高齢化問題に立ち向かう

そして申し上げておきますが、これから東京が迎える超高齢化は、半端なものではありませんよ。
半端なものではない、なぜか。

昭和30年、(聴衆の方を指し)生まれた年よりもずっと前ですね。
私が生まれる2年前なんだが(会場笑)、1955年、昭和30年から1970年、昭和45年。大阪で万博があった年です。

たった15年の間に、北海道から九州から、東北から四国から、
たった15年の間に日本国中の地方からこの東京に、500万人の人が移り住んだんですよ。

皆さん方の中にもいらっしゃいませんか、その頃に東京へ来たんだよ、って方。そうですか。昭和30年から45年まで15年間に、日本国中の地方から500万人の人が東京にやってきた。私は鳥取で、小学生や中学生をやっておりました。

東京に人が集まって大変です、高島平団地をつくり多摩ニュータウンをつくり、校庭をつぶしてプレハブ校舎をつくり、そんな時代でありました。

一昨年は、昭和で言えば90年でしたね。
昭和30年に15歳で東京に来た人は、一昨年いくつになりましたか。
90から30を引くと60、60に15を足したら75。

昭和30年に15歳で東京に来た人は、一昨年もれなく75歳になっている。
なってない人は一人もいない。居るはずがない。

昭和30年から45年までに、若い人が爆発的に増えた。これからはその裏返しが起こる。
高齢者が爆発的に増える、それが東京です。

今まで東京は若い町でしたから、医療とか介護とか、そういう態勢が充分でなくてもやれたんです。
これから先は、絶対にそうはいかない。
いかにして医療、介護の態勢を整えるか。
それも東京の、一番大きな課題のひとつであります。

8.川松真一朗を通して、あなたが墨田を、東京を、そして日本を変える

いかにして安心、安全な町をつくるかは、若い人たちだけのものではない。
高齢者の皆様方のためでもあります。

安全、安心な町。大勢の人がやってくる町。世界の人が楽しめる町。
そういう墨田が、新しい東京をつくります。新しい日本をつくります。

川松真一朗のための選挙ではありません。
墨田区民、一人ひとりの幸せを実現するための選挙である。
墨田区が東京のために、果たすべき役割を果たす選挙である。
そして東京は、日本のために、果たすべき役割を果たす。
その都政を担えるのは。この墨田区で担えるのは、川松真一朗である。
私はそのように固く信ずるものであります。(会場拍手、川松深々と一礼)

4年前のような追い風は吹いてません。
それは我われ党本部が至らないところがあって、都議会議員候補にも多くの迷惑をかけております。
私もあちらこちらで、お詫びをして歩かねばならないと思っております。

追い風は吹いてません。
逆風だと思っています。
ですけど、そんな時こそ真価が問われる。
厳しい選挙です。

この錦糸町に大勢の方々、せっかくの土曜日にお出かけいただき、足を留めていただきました。
4年前もそうでしたが、投票日まで行くか行かないか決めていないって人が一杯います。
投票日になっても、誰にいれるか決めてないって人が一杯います。
いま絶対、川松真一朗に入れようっていう人だけでは当選しません。絶対にしません。
行くかな、行かないかな。誰に入れようかな。そういう人が、選挙を決めます。

私も31年、国会議員をやって、自分の選挙だけでも10回やりました。
毎回毎回、自分の選挙民の皆様にお願いをするのは、是非ぜひ集まってくださった皆さん。
1人でもいいです。2人でもです。声かけてください。電話してくださいっていうお願いを
毎回毎回、し続けております。

9割の確率で入りますから。
「川松を頼む」って言っていただいたら、9割が川松って書きます。
だけど、川松だけがそれやる訳じゃないから。他の候補者も同じことをやる訳だ。
向こうは電話をかけました、川松を頼むって電話が入りませんでした、そうしたら
向こうの票が増えるに決まっているじゃないですか。
(そうしたら)川松が働くことはできません。

どうか、長い時間聞いていただいてご迷惑をおかけいたしました。
ありがとうございます。

どうか、川松真一朗。皆さま方が声をかけていただいて、これから4年間。
若い力で、正論で、正義感で。この墨田区から新しい東京をつくる。
川松真一朗、皆さま方のご支持、ご支援を心からお願いして、石破茂のご挨拶といたします。
どうぞ川松真一朗をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(会場拍手)


編集部より:このブログは東京都議会議員、川松真一朗氏(自民党、墨田区選出)の公式ブログ 2017年6月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、川松真一朗の「日に日に新たに!!」をご覧ください。