(記者)知事は『文藝春秋』の7月号の中で「築地の改修案も市場問題PTから出され、百花繚乱の様相を呈しているが、ここはアウフヘーベンすることだ」と書いておられます。この「アウフヘーベン」という表現を使われた意図、意味するところをちょっと教えていただけませんでしょうか。
(知事)はい。「アウフヘーベン」というのは、一旦立ち止まって、そして、より上の次元にという、日本語で「止揚」という言葉で表現されますが、これまで安全、安心、法的、科学的、さまざまなチェックが行われてきました[…]そういったことを全部含めて、どう判断するかという、そのための「アウフヘーベン」が必要だということを申し上げた。
独創的な解釈ですね。Aufhebenというのはドイツ語で「棚上げする」というような意味ですが、哲学用語としてはヘーゲルが使いました。これは「止揚」とか「揚棄」と訳され、「低い段階の否定を通じて高い段階に進むが、高い段階のうちに低い段階の実質が保存されること」(『広辞苑』)という意味です。何のことかわかりませんね。
これは弁証法という理屈で、高校の教科書では「矛盾するものが統一される」とか「正・反・合」とか教わりますが、これも変ですね。矛盾するというのは、たとえば「ポチは犬だ」というのと「ポチは犬ではない」というような話です。これをアウフヘーベンして「ポチは犬だが犬ではない」というのは意味不明で、どっちかがまちがっています。
弁証法はレーニンやスターリンなどの社会主義者が、つじつまの合わない話をごまかすとき「こっちのほうがレベルが高い」という意味で使いました。小池知事の話も「魚の卸し売り市場は豊洲を使う」ということと「築地を使う」というのは矛盾しています。両方使うのは「より上の次元」ではなく、「矛盾した計画を両方やる」という最悪の結果です。
東京の都心に魚市場が必要なのかどうか疑問ですが、2つつくるのはもっと疑問です。豊洲の採算が合わないという人がいますが、それなら築地と両方やったらもっと採算が合わないでしょう。これはアウフヘーベンではなく「二兎を追う者は一兎をも得ず」(2匹の兎を追うと1匹もつかまえられない)といいます。
よい子のみなさんは、つじつまが合わなくなったとき「アウフヘーベン」とか「弁証法」とかわけのわからない言葉でごまかさないで、「まちがってました」と認めて、どっちかを選びましょう。というか豊洲に移転することは、すでに東京都が選んで都議会も承認したので、そもそも矛盾していません。アウフヘーベンも必要ないのです。