正義の前提には「パレート効率性」の向上が不可欠

パレート効率性(もしくは「パレート最適)という言葉を聞いたことのある人は多いと思います。Wikipediaでは、以下のように定義されています。

ある集団が、1つの社会状態(資源配分)を選択するとき、集団内の誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態を、「パレート効率的(Pareto efficient)」であると表現する。

大雑把ながら、具体例を考えてみましょう。
一枚のパイがあったとします。鈴木くん、山田くん、佐藤くんの3人がいて、誰もがパイ一枚全部を欲しがったとしましょう。しかし、パイは一枚しかないので、とりあえず均等に三分の一にして分けました。

先の定義で考えると、鈴木、山田、佐藤の三人の集団がいて、鈴木くんが三分の一より多くの効用(満足度)を求めようとすると、山田くんか佐藤くん、もしくは両名の取り分から奪ってこなければなりません。つまり、鈴木くんの効用を高めるためには、誰かの効用を犠牲にしなければならないのです。

言わば、「ゼロサム・ゲーム」の状態にある訳です。ロールズなどは「正義論」で、この分配について正義の概念を考えました(詳細は省略)。

しかし、(分配以外に)全員の効用をもっと高める方法があります。
何とか工夫して、パイそのものを大きくすればいいのです。

パイの作り方は知りませんが、いい加減に作るよりも、素材を無駄なく使い失敗作を出さないように効率的に焼けば、同じコストでもっと大きなパイを焼くことができるでしょう。

とかく「正義とは何か?」を考える際、私たちは所与のパイをどのように分配するかばかりに目を奪われがちです。しかし、パイをもっと大きく焼くことができれば、各人の取り分は自ずから大きくなるのです。

経済学的に言えば、総効用を最大にすることが、分配を論ずる前に実現すべき大前提なのです。

ところが、現実には「行政による規制」「既得権益の保護」等、様々な阻害要因があってパイを大きく焼くことが実現されていません。

その最たる具体例は、高齢者への医療補助です。75歳以上の高齢者に一定の税金を投入することが所与の事実だとしても、そのお金を年金に上乗せした方が高齢者だけでなく社会全体の効用が高まるのは明らかなのです。

例えば、500億円を75歳以上の高齢者に投じるとしましょう。全額を医療費補助として受けるより、現金で支給された方が高齢者の効用は高まりますよね。一人あたり1万円の医療券をもらうより現金をもらった方が、使途が大いに広がります。

医療を受けるより食事をしたりモノを買えば、消費支出も増加します。医療券をもらっても、病院嫌いの高齢者は金券ショップに行って8000円の現金に変えてしまうでしょう。医療費補助よりも年金上乗せの方が効用が高くなるという事実は数学的に証明されており、価値判断の入る余地はありません。

なのに、相も変わらず医療費補助が行われているのはなぜか?
医療費補助に集中させれば潤うのは医療機関等です。全国の医療法人等に厚労省の役人が天下っていることを考えれば、厚労省が「高齢者保護」というタテマエで、自らの縄張りに税金を回しているのは明らかです。

高齢者のことを真摯に考えているのでは決してなく(逆に「過剰投薬」で健康を害している高齢者がいます)、自分たちの権益を守っているのです。

世の中には、これ以外にもパイを最大限にすることを阻害する規制等が多々あります。リソースは同じでも、米などの食料品の関税を撤廃して消費者も農家も双方が潤う方策があるのです。

私は、「正義とは、他人に迷惑をかけない範囲内で最大限の自由を謳歌できること」だと考えています。

この概念は、パイをどのように分配するかの基準のように見えますが、「最大限の自由を謳歌する」前提として最も大きなパイを焼く必要があります。

その気になれば、世の中のパイはもっともっと大きくすることができるはずです。分配の前の最大化を決して忘れてはなりません。

説得の戦略 交渉心理学入門 (ディスカヴァー携書)
荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。