スペイン・バレンシアで生まれたパエーリャ

昨今、パエーリャ(Paella)はスペインを代表する料理となっている。

その発祥地はスペインのバレンシアである。バレンシア地方は温暖で、日照時間も長く、雨量も少ないということから、バレンシア地方を称して「屋根がなくても生活できるところだ」と言われている。勿論、バレンシア地方の内陸部に入ると、そこは大陸性気候で冬の気温も零下を記録する所もある。

しかし、バレンシアはこの温暖気候を利用して、歴史的に農業が豊かな地方である。そこでは米(水田)、野菜各種、オリーブ、アーモンド、オレンジなどが盛んに栽培されている。水田とオレンジ畑が隣接して栽培されているというのは非常に珍しい光景だと言われている。それだけ土壌が肥沃なのである。

この地の特徴を生かして、バレンシア地方の農村部で15-16世紀に誕生したのがパエーリャである。そこでは畑や家畜から手に入るものを具材として利用した。それが、米、色々な野菜、鶏肉、野ウサギ肉そしてオリーブから採取したオイルなどであった。ミックスパエーリャや魚介類のパエーリャといったものはその後に誕生したものである。最初にバレンシア地方で誕生したパエーリャの具材には野菜の他に鶏肉とウサギ肉が入っていたということである。

又、料理するのに薪を使っていた。薪にはオレンジの木を利用する。薪から上がる煙があたかも出汁のように染み込んでパエーリャに独特の風味を生むのである。多くのレストランではガスで料理するので、この風味を得ることは出来ない。今でも、週末に成ると、オレンジ畑で囲まれた中でオレンジの薪を使ってパエーリャを料理して一日を過ごす人は多くいる。

また、パエーリャの語源はパエーリャを料理する鍋のことであった。ラテン語で「蓋がなく、フラットなもの」という意味の「Pateo」から派生したと言われている。しかし、それ以外にも歴史的に影響を受けたアラブ支配によって、アラブ語の「Baqiyah」がルーツだという説もある。

19世紀にはパエーリャはヨーロッパでも知られるようになった。フランスやベルギーでレストランのメニューに入っていたという。そのパエーリャをヨーロッパから世界に知らしめた人物がいる。名前をアントニオ・ガルビス(Antonio Galbis)という。彼はつい最近他界したが、1992年に10万人分そして2001年には11万人分のパエーリャを料理して、それが現在世界記録としてギネスブックに載っている

後者の新記録を達成した時に使った主な具材は、米6000㎏、野菜5500㎏、肉125000㎏、オリーブオイル195㎏、塩28㎏、サフラン1㎏、薪30000㎏、水15000リットルそして料理人60名。これを料理するパエーリャ鍋は直径21.5メートル。。

ギネスサイトより(編集部)

米はボンバ米を使用している。ボンバ米は一般に消費される米よりも、水分の吸収力が強く、3倍に膨れ、それでいて、出来上がった状態を長く維持して蒸れるのが遅いという特徴があるので大勢の人数に一度に料理するには最適である。そして水分の吸収力が高いので出汁を十分に吸い込むことから美味しさもより加味される。

また、鍋は特注で、2か月くらいかけてパーツ別に製作し、最後に溶接する。その後に、鍋の表面を滑らかにする為に磨きをかけねばならない。

この新記録挑戦にスポンサーとしてスペインのある洗剤メーカーが就いた。その狙いは「こんな巨大な鍋でも、僅かの量の洗浄液だけで綺麗に洗浄できる」という謳い文句を用意して、自社の洗剤を宣伝に利用したのである。

パエーリャの利点は参加者が多いイベントでも比較的料理し易く、一度に参加者に料理を提供できるという点である。アントニオ・ガルビスが創業したジャイアント・パエーリャを専門に料理する会社は今も各地で1000人くらいから3万人くらいのイベントでパエーリャを料理している。

15万人分のパエーリャを米国のマイアミでチャレンジするという計画があることを彼は筆者にも5年程前に語ったことがあったが、米国のスポンサーが計画を中断したようで実現されていない。

バレンシアにはパエーリャをメニューのメインにしているレストランは数多くある。サルバドール・ガスコン(Salvador Gascon)もパエーリャづくりの名人のひとりだ。彼の両親が1951年に始めたレストランがバレンシアから40㎞南下した地中海沿岸のクエリャ(Cuella)市にある。

サルバドール・ガスコンは2代目で、現在3代目に経営を少しづつ譲っている。レストランの名前はCasa Salvador(http://casasalvador.com/)。1951年の開店時から現在まで年中無休で一日も休業したことがないというレストランである。もう可成り以前に成るが、筆者がお客を連れて夜8時頃に夕食を食べに行った時にボーイさんがフロアーを掃除していたので、私は「今日は掃除しなかったのか」と尋ねると、ボーイさんは「先程、昼食のお客が出て行った所だ」と答えたことがあった。お客に時間制限をしないレストランなのである。これぞ、本当にお客の為のサービスができるレストランなのである。

現在、このレストランではメニューに凡そ30種類のパエーリャを提供している。サルバドール・ガスコンが美味しいパエーリャを料理するのに重要なこととして挙げているのは、勿論、新鮮な具材に、水、出汁、火加減の3つを強調している。パエーリャは色々な具材を炒めて出来る出汁を米の中に吸収させるということで、出汁の出来が悪いと美味しいパエーリャはできないのである。その為には具材を焦がすことなく、オリーブオイルを使って充分に炒めることが大事であるという。

又、彼は米を使った料理の本を執筆している。筆者が彼に何部売ったか2年前に尋ねた時に、「30万部売った」と答えた。ラテンアメリアで人気があるそうだ。

パエーリャの種類ということで、パリでパエーリャを専門に料理しているシェフがいる。アルベルト・エラエスという人物で、彼のレストラン「El Fogon」はミッシェラン一つ星をもっている。彼は創作パエーリャを得意としているそうだ。これまで180種類のパエーリャを料理したとスペイン紙『La Vanguardia』が2013年にインタビューした時にそれを語っていた。

彼はパエーリャの具材としてトマト、サフラン、赤ピーマンを重要な要素として挙げている。また彼は、「パエーリャというのは伝統料理で、その料理の仕方を家族が代々伝授して伝わった料理である故に、固定したレシピーはない」と指摘している。その代り大事なのは「具材、水、オリーブオイル、火加減などを精緻して料理することが大事だ」と語っている。彼がこの点を指摘している背景には、パエーリャとは如何なるものかという論争が色々とある中で、寧ろそれをどのようにして料理するのかということの方が大事だと伝えたいからである。パエーリャ論は別にして、彼も使用する米は常にボンバ米であることを挙げている。

またパエーリャのプロフェショナルのコンクールがバレンシア市から35㎞南下したスエカ市で毎年9月に行われている。昨年が56回目であった。日本のレストランも参加している。その為に東京で予選がある。優勝はこれまでバレンシア地方のレストランシェフが獲得しているが、時にバレンシア以外のシェフの優勝もある。昨年はアンダルシア地方の17歳のシェフが優勝した。彼の父親はバレンシア出身だった。

最後に、パエーリャ料理の種類の多さを示すのに語り継がれている逸話を一つ紹介しよう。時はスペイン独立戦争の時代(1808-1814年)である。ナポレオン1世がイベリア半島を支配下に収める為に軍隊をスペインに送り込んだ。バレンシアに派遣されたナポレオン軍の隊長はパエーリャをとても気にっていたという。いつも行くレストランの女将にいつもパエーリャを注文していたそうだ。

ある時、女将は隊長に「毎日美味しいパエーリャをご馳走します。それも、毎日、違うパエーリャを食べて戴きます」「その為に、一つ条件があります。食べたパエーリャが美味しかったから一人捕虜を釈放してください」とお願いしたのだった。隊長はそれを了承した。女将は毎日違ったパエーリャを料理して隊長にサービスした。隊長は毎日出て来るパエーリャに満喫した。その度にまた一人捕虜を釈放した。そして、気が付いた時には176人の捕虜全員を釈放していたのだった。即ち、女将は176種類のパエーリャを料理したのであった。