本を読む気も失せていたが、劉暁波追悼の続きを書かなくてはならない。会うチャンスはなかったが、私は何度も彼の名前を文章に書いた。だからきちんと彼の死を受け止めたいと思う。
身動きの取れなくなった自分を顧み、劉暁波氏の獄中での姿に思いをはせる。
彼は座っている。座禅を組んでいるのだろうか。静かに瞑想している。「自己」が周囲との関係によって規定されるものであるならば、彼はそこから解放され、直接、自分と向き合う機会を得た。深い森の中をさまよっているのではない。果てのない大海を漂っているのでもない。しっかりと大地を踏みしめ、自由に大空を飛ぶ思索を得た。憎しみや、怨みから解き放たれ、彼の心は愛に満ち、我をさえ忘れている。だからこそ、彼の精神はだれが作った障害をも乗り越え、世界に羽ばたいていく。
一人でいても孤独ではない。周囲との関係を気にかけ、自己を規定する必要はない。わずらわしい弁解も、釈明もいらない。彼は自己を極めたことによって、「我」から解放され、無我の境地に達したのだ。彼にとっての「我」は無であり、無限である。あらゆる人々を包み込む広大さ、寛容さを持っている。たとえ鉄格子と高い塀によって孤立させられようと、彼の魂は孤独ではない。
沈黙しているが、無為に過ごしているのではない。彼の沈黙は、黙ってつき従うヒツジの群れの沈黙ではない。言葉の重みを背負っている。彼の言葉は液晶画面に書き込まれたものではない。人の心に直接届き、語り掛けるものである。罵り合いや罵倒の応酬を鎮める力がある。世の中にあふれる偽りや欺瞞を蹴散らす力がある。その沈黙は微笑んでいる。悲しさや無念とは無縁だ。
牢獄の外には、せわしなく動き回り、無意味な雑音をまき散らし、自己が何であるかも無頓着でいる人々がたくさんいる。自分を顧みる余裕もなく、目先の利益に目をきょろきょろさせている。せわしなく私利私欲をむさぼるために、軽薄で、浅はかで、定まることがない。こびへつらい、右顧左眄し、風見鶏のようにころころ変わる。黙っていることができず、自分を偽るため、心にもない言葉を吐き続ける。饒舌だが、時間が過ぎれは雲散霧消する。
そういう人たちの言葉を見抜こうと思うならば、堅固とした自己があるかどうかを見定めればよい。そういう人たちは、劉暁波の名を語ってはいるが、揺るがぬ自己がないため、しょせんは彼の死に乗じて、私利私欲を語っているに過ぎない。どれだけの人が、彼の書いた文章を読み、彼の言葉に耳を傾けただろうか。
かつて東洋経済新報時代の石橋湛山(元首相)が大正元年、『愚かなるかな神宮建設の議ほか』という評論を書いたのを思い出した。社会全体が軍国主義に傾く世相にあって、体制にしがみつく政治家や経済人、学者までもが、明治神宮の建設に奔走している状況に対し、明治期の民主化の事業を継承することこそ、先帝の追悼にふさわしいと訴えた。こう書いてある。
「真に、先帝とその時代を記念せんと欲せば、吾人はまず何をおいても、先帝陛下の打ち立てられた事業を完成することを考えなければならないはずである。憲政はどうである。産業はどうである。民の福利はどうである。これらのものは果たして今、先帝陛下の御意志通りになっているか。しかるにこれらのものは棄て置いて、一木造石造の神社建設に夢中になって運動しまわる。これを一私人の家に譬(たと)えて見れば、あたかも親父が死んだからといって、幾日も幾日も家業を休んで、石塔建立の相談を親類縁者中に持って歩いているようなものだ。その間にせっかく親父が丹精して盛り立てて置いた家業が衰えねば幸である。現に或る一部には、このどさくさまぎれに、宮中府中の混同などという騒ぎも始めておるではないか」
彼は神宮を建設するぐらいならば、平和への貢献を顕彰する「明治賞金」をつくるべきだと主張した。
人の追悼に乗じて私利を追求する者はいつの時代にもいる。そして、時代を経ても、それを見抜けるほど人が賢くなっているとは必ずしも言えない。これもまた事実だ。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年7月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。