日本経済新聞の「迫真」では今週火曜日より3日間亘り「出光、合併への賭け」と題して、(上)『ダメならみんなクビ』、(中)『「もう僕には…」創業家一転』、(下)『昭シェル「TOBはダメだ」』を連載していました。出光興産株式会社の創業家と経営陣による昭和シェル石油株式会社との合併計画を巡るゴタゴタは、1年以上の時を経て漸く先日「最終局面」入りしたとも報じられています。
今月に入っては3日、出光経営陣が公募増資を発表し、創業家が翌「4日、東京地裁に新株発行を差し止める仮処分を申請した。(中略)18日、東京地裁は増資を認める判断を出し(中略)創業家は即時抗告したが、翌19日には東京高裁も訴えを棄却。増資は20日に実行され、創業家の持ち株比率は約26%に下がった。合併の阻止に必要な3分の1を下回り、経営陣は合併実現へ大きく前進した」というわけです。
次なる焦点は一つに「合併を決議するために必要となる臨時株主総会をいつ招集するか」となりますが、上記増資後も大株主である創業家は未だ「経営陣に強く抗議し合併に断固として反対し続ける」ようです。こうした現況下、仮に出光興産創業者の出光佐三さんが今この時代に御存命していたらば、佐三さんはどう行動されたでしょうか。今の創業家とは全く違うのではないかという気がします。
佐三さんは統制経済真っ盛りの時代、石油業界にあってメジャーと呼ばれる欧米の国際石油資本、及びメジャーと結託しているような日石をはじめとした当時の日本の石油会社、そしてそれらと同調する「官」という一つの既成勢力と、不撓不屈の精神を持って戦い抜かれた人です。
当時、日本の会社がメジャーと示し合せて出光興産に限られた量しか売らないといった状況を受け、佐三さんはメジャーではない所から買うために米国に行きました。しかし、その購入先もメジャーに押さえられて行く中で、遂にはメキシコやソ連(ロシア)、最終的にはイランに供給先を求めて行きました。佐三さんは、日本人として外資に牛耳られない民族系石油会社を維持して行くとは一つ大事なことだと考えられていたのです。そして結局それにより日本国民により安く良質な石油を提供出来る、といった時代であったわけです。
複雑系の現実において何が正しいかというのは、夫々の時代背景の中で決まってきます。環境は常に変化しますから、企業の永続は難しいことです。今回の「出光お家騒動」に関して率直に申し上げますと、例外なく出光興産を取り巻く環境も激変して行っているにも拘らず、此の創業家は出光佐三の生きている時代に未だ生きていて、全く進化していない人達であるとの印象を持っています。勿論、創業家は創業者の残した絶対に変わらないような尊い企業の遺伝子を残すべく努めねばなりませんが、同時に片一方では残してはいけないものをきちっと峻別して行かなければなりません。
例えば、佐三さんは「石炭から石油の時代が来る」と神戸高等商業学校(現神戸大学)の卒業論文に書かれ、そしてある種の信念を持って自らも石油業に入り込み、その人生の全てを石油に捧げられたわけですが、創業家は今エネルギー源の変遷という観点より時代の流れを如何様に察知されているのでしょうか。あるいは、終戦後「日本の石油国策の確立を目標として猛進」することが良しとされた出光興産の在り方に対し、いま自主独立で経営を行って競争力ある所に敗れ結果として収益力が落ちることになるのが本当に正しい姿と言えるのでしょうか。
先々月9日『石油元売り「民族系」「外資系」対立の終わり』という記事もありましたが、生き残るため出光興産も時代に合わせて変化して行かねばなりません。佐三さんは時代と共に今何を為すべきかと常に考え動いて行った人ですから、恐らく佐三さんも出光興産トップ・月岡隆さん以下の現下のマネジメントを支持されると思います。
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