北のICBM試射と6カ国の「思惑」

長谷川 良

本題に入る前に聖トーマスという人物についてちょっと説明する。イエスの使徒の一人、トーマスはキリスト教会では疑い深い人間のシンボルのように受け取られてきた。「ヨハネによる福音書」によると、トーマスは復活したイエスに出会った時、イエスが本物かを先ず確認しようとした。イエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んで、その身体を確かめている。だから、教会で疑い深い信者がいたら、「君は聖トーマスのようだね」とからかう。

▲G20で日米韓3カ国首脳会談(2017年7月6日、独ハンブルクで、韓国大統領府公式サントから)

北朝鮮が28日夜、今月4日について2度目の大陸間弾道ミサイル「火星14」(ICBM)を発射して、成功したという。以下、朝鮮半島の動向を正しく理解するために、聖トーマスの懐疑的な眼を持ちながら、北朝鮮のICBM発射に関する関係国の思惑について考えてみた。

北は今月4日、同国亀城から「火星14」を発射した。高度2802キロ、約39分間飛行した。28日深夜(現地時間)の発射は慈江道舞坪里から高度3724キロ、約47分間飛行した。いずれも日本の排他的経済水域(EEZ)に落下した。

問題はその後の関係国の反応だ(読売新聞=電子版と時事通信=電子版を参考)。

①北は29日午後、ICBM試射の成功を大きく報道し、「米本土全域が射程圏内に入った」と豪語した。同試射には金正恩労働党委員長が現地で指揮を執ったという。
同国の国営メディアによると、「高角発射態勢(ロフテッド軌道)での大気圏再突入環境でも、弾頭部の誘導・姿勢制御が正確に行われ、数千度の高温条件でも弾頭部の構造的安定性が維持され、核弾頭爆発制御装置が正常に作動することが実証された」(時事通信)という。

②次に米国の反応だ。トランプ大統領は、「米国は国土の安全を守り、アジア太平洋の同盟国を守るためにあらゆる必要な措置を講じる」と述べた。なお、米国防総省のデービス報道部長は28日、「北の発射したミサイルはICBMで、約1000キロメートル飛行し、日本海に落下した」と説明した。

③ロシア国防省は28日、北が発射したミサイルはICBMではなく、「中距離弾道ミサイルで、上昇高度681キロ、飛行距離732キロで、日本海中部に落下した」と言明した。

④韓国の文在寅大統領は国家安全保障会議(NSC)を招集し、在韓米軍による最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の本格運用を早期に開始するため、米国と協議するよう指示した。本格運用に慎重だった従来の方針を転換した。

⑤日本政府によると、ミサイルは約45分間で約1000キロメートル飛行。北海道・奥尻島の北西約150キロの日本のEEZ内の日本海に落下した。日本側は「北のミサイルは高度3500キロ以上まで上昇した」と分析している。
安倍晋三首相は29日午後、北のICBM発射について、「国際社会の安全に対する重大かつ現実の脅威」と非難した上で、米韓両国と連携し、制裁強化を含め、北朝鮮への圧力を一層強めていく方針を示した。

⑥中国外務省の耿爽・副報道局長は29日、「北が国連安保理決議と国際社会の普遍的な意向に背いて発射活動を進めることに反対する。同時に、朝鮮半島情勢の緊張を更に高めないために、関係国にも慎重な対応を求める」と表明している。

以上、6カ国の反応を簡単にまとめたが、日韓米3カ国の反応はほぼ同一だ。ミサイルの軌跡などは米国側の情報を共有していることもあって、技術的なデータは一致している。

突出しているのはロシア側のデータだ。ロシアは北のミサイルを中距離ミサイルと判断、その上昇高度の数値も他の関係国と大きく違っている。ロシアのミサイル追跡技術が米国より劣っているのか。それとも恣意的な計算が働いているのだろうか。

ロシアは北側に急速に接近してきたという情報が流れている。中国が米国の圧力を受けて従来のように北側を支援できないのを受け、ロシア側が出てきたというのだ。問題は、北側は米本土まで届くICBMの発射成功を目標としてきた。その平壌側の努力に水を注すように、「あれはICBMではなく、中距離ミサイルに過ぎない」と言明することは両国関係の上でも賢明ではない。とすれば、モスクワの狙いは、「北のミサイルを米本土まで届くICBMだ」と主張するワシントンへの嫌がらせではないか。

米国は韓国でサードの早急な配備を願っている。実際、文大統領は北のICBM試射成功を受け、サードの早急配置に政策を変更させた。同時に、ホワイトハウス内の混乱が続き、政権への支持率が低下してきた時だけに、トランプ政権は北カードを駆使し、米国の安全問題を強調することで、他の国内問題をカバーしたい狙いもあるはずだ。トランプ大統領は米本土まで届くICBMの開発をレッドラインとしてきた。国内情勢がトランプ大統領の罷免にまで急発展する気配が出てきた場合、同大統領は冒険に出る可能性も排除できない。

中国の場合、対北制裁の限界を示している。ミサイル試射の技術的データの公表もなく、ただ「遺憾だ」と繰り返す一方、米日韓には対北への慎重な対応を求めている有様だ。

最後に、安倍政権にとって、加計問題などの対応で国民の信頼を失ってきた安倍政権が国の危機管理能力を発揮することができれば、政権の再浮揚も出てくる。安倍政権にとって、北問題は軍事的冒険である一方、政権再浮上の数少ないカードであることだけは間違いないだろう。

ドイツの小説家ヘルマン・ヘッセはその著「クリストフ・シュレンブフの追悼」の中で、「信仰と懐疑とはお互いに相応ずる。それはお互いに補い合う。懐疑のないところに真の信仰はない」と述べている(「聖トーマスに学ぶ『疑い』の哲学」2015年4月22日参考)。 朝鮮半島の行方を憂慮するゆえに、関係国の思惑について懐疑的な眼で眺めざるを得ないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。