読売問題を通じた新聞と読者との乖離を語っている。世論から遊離した言論は存在意義を失うだけでなく、もしそれが力を持った場合、権力による言論統制に転じ得るので警戒が必要なのだ。
新聞社における編集と販売の分離は、報道を利益から遠ざける効用がある。編集の独立は、独立した報道を維持する土台となる。新聞の見出しを考えてみればよい。全国紙の見出しは記事に忠実に、正確性を重んじた表現が用いられる。各紙とも大同小異で、悪く言えば無味乾燥な見出しも多い。読者は見出しを見て購読するのではなく、すでに半年や一年の契に基づき固定されているからだ。一方、駅売りに頼るスポーツ紙や夕刊紙はそうはいかない。記事内容とかけ離れても、多少誇張があっても、目を引く派手な見出しをつけなければ売れない。市場に直結した編集は、独立を損なう。
だが、独立がまた読者との乖離を生むのも不可避だ。そこで、編集と販売の分離がどのように実現されているかを考えてみる。
新聞読者の大半は、日々、各紙の記事内容を見比べ、特定の一紙を購読しているわけではない。新聞大国の大量発行部数は、記事内容によるものではない点に留意が必要だ。市場には様々な商品が存在するが、販売している者が商品を理解していないケースはほとんどない。電器店の携帯やパソコンの売り場に行けば、係員が各メーカーのメリットデメリットを詳しく説明してくれる。消費者はそれぞれのニーズに応じて、商品を選択する。
だが新聞販売に関して言えば、勧誘員が新聞を熟読し、戸別訪問をする際、他紙との記事内容の差異をアピールし、それをセールストークとしているという話は聞いたことがない。何が書いてあるかが問題なのではなく、ビール券や美術展のチケット、トイレットペーパーや洗剤などの景品を積んで、読者を釣るのである。販売店主が「白紙でも売ってやる」と豪語したというエピソードは、決して笑い話ではない。悲しいかな、多くの読者もまた、内容の如何ではなく、これまでの習慣や景品の中身によって購読契約書にサインすることが常態化している。
私が新聞記者になって間もなく、新聞販売店の熾烈な販売競争を描いた映画『社葬』がヒットした。その際、冒頭で使われたフレーズが、
「日本の新聞はインテリが作りヤクザが売る」
だった。日夜、懸命に働いている販売店を思えば、非常に失礼な言葉だが、行き過ぎた威嚇的な勧誘がしばしば問題化していた時代なので、多くの人々は違和感なく受け取っていた。むしろ「インテリが作り」の部分に疑問が投げかけられたのを覚えている。権威をかさに着て、居丈高な態度を取るヤクザまがいの記者もいたのである。とは言え、このフレーズは編集と販売の分離、ひいては記者と読者との乖離を暗示した、絶妙なコピーであった。
日本の新聞は1950年代から70年代の高度経済成長期、戦時から引き継いだ寡占体制を背景に大きな成長を遂げた。各地に販売店を設け、世界で最も完備したきめ細かい宅配購読システムを構築した。それを後押ししたのが一億総中流意識だ。家電の「三種の神器」に代表されるように、みなが同じような生活を追い求め、その中で、新聞も家庭に不可欠な商品として入り込んでいった。新聞を取っていることが文化水準の目印となり、小中学校でも、新聞記事の切り抜きや書き写しが宿題となった。
戦前は毎日、朝日の二強からかなり遅れをとっていた読売新聞だが、1977年には発行部数が朝日を抜いて業界トップの720万部に達し、1994年には念願の1000万部を突破した。
数百万単位の大量発行部数を支えるのは、際立った論調ではなく、だれもが受け入れられる均質な内容である。他紙と同じようなことを書いていればそれでいい。無理して失敗をするよりも、何もしないで人の失敗を待った方がいい。こうして、リスクの伴う特ダネよりも、一社だけ記事を落とす“特落ち”を極度に恐れる横並び意識がはびこる。
何よりもあさましいのは“共食い”現象だ。全体のパイが増えない以上、他社の失策に乗じ、なりふり構わず読者を奪おうとする発想が生まれる。なれ合いの寡占市場はそもそも健全なルールを欠いているため、仁義なき戦いに転ずるのは必然だ。狭隘な自己都合でそろばんをはじき、強い者には媚び、弱者には鞭打つ事大主義が巣食っている。
顕著な例が、2014年8月、朝日新聞が従軍慰安婦報道や東京電力福島第一原発事故「吉田調書」の誤報で対応に手間取り、社長が辞任に追い込まれた際、読売新聞が行った過剰な批判キャンペーン記事だ。連載記事は「徹底検証 朝日『慰安婦』報道」(中公新書ラクレ)として出版までされた。海外支局にも「有効活用してください」と1冊が送られてきて、私はあきれた記憶がある。
(続)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年8月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。