都議会が死んだ、とは、まあ大袈裟な

議員の採決権を剥奪したり、議論の場をすべて奪って、一切合財密室で決めるようになったとでも言うのなら、確かに都議会が死んだ、と言ってもいいのだが、特別委員会の設置提案自体は否決されたものの、常任委員会での議論は公開されることになったのだから、死んでもないのに死んだ、死んだなどと騒ぎ立てるのはほどほどにされた方がいい。

維新の議員は自分一人になってしまった、という悲哀を味わっておられるだろうが、これは有権者である都民の皆さんの選択だから、都民の皆さんを恨んでも始まらない。

まあ、内心忸怩たる思いの議員も都民ファーストの議員の中にはいるはずだから、そういう人たちを巻き込んで何らかの動きを始められたらいい。

情報公開請求という格好の手段があることを教えてくれた議員がいるはずだから、今度は自分でそれをやればいい。

死んだかどうかは、情報公開請求で墨塗の文書が返ってくるか確かめてから言えばいい話で、自分たちの提案が通らなかったというだけで都議会が死んだと騒ぎ立てるのは、少々大人げない。

都議会が死んだ、というのは都議会議員も死んだ、ということだ。

私が見ている限りでは、皆さんピンピン跳ねまわっている。
炎天下の中を都民ファーストの新人議員の方々が走り回って見ているのは、結構楽しいものである。

都議会が死んだかどうかは、これからの活動で分かる。

自分たちの提案が通らなかった、というだけの話だから、これからは自分たちの提案が通るような説得活動を粘り強く展開されればいい。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2017年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。