8月15日の主要全国紙社説に目を通した。それぞれ立場はあるのだろうが、共通して感じられたのが「閉塞感」だ。戦中世代が徐々に姿を消していく中、戦争の総括についていまだに国民共通の認識が存在していない。慰霊イベントの形式ばかりが論じられ、理念や信念が伴っていない。閣僚が靖国神社に行かなかったことがニュースになる社会は、やはりどこかおかしい。一歩も前に進んでいない。
読売新聞は、アジアの安全保障を確保するため、「自衛隊の重要性」を踏まえた憲法改正を訴え、「そのカギは、やはり日米同盟だ」と言い切る。年に一度の終戦記念日に、過去の反省を一切しないまま、戦争も辞さずと言わんばかりの発言は、いかなる精神から生まれるのか、理解に苦しむ。「平和の維持へ気持ちを新たに」とするタイトルは、内容を正確に反映しておらず、読者を惑わす表現だ。翌16日の社説は天皇の戦没者追悼の歩みを振り返り、「国民も、戦禍を語り継ぐ努力を続けなければならない」との一文で締めくくった。「国民も」とは、時代錯誤も甚だしい。国民以外にだれが責任を負うのであろうか。
朝日新聞は「色あせぬ歴史の教訓」の見出しで、
いきすぎた自国第一主義、他国や他民族を蔑視する言動、「個」よりも「公の秩序」を優先すべきだという考え、権力が設定した国益や価値観に異を唱えることを許さない風潮など、危うさが社会を覆う。
と述べる。戦前に似た空気への警鐘は評価できるが、「再び破局をもたらさぬよう足元を点検し、おかしな動きがあれば声を上げ、ただす」と受け身の態度しか表明できていない。だから切実な訴えとして響いてこない。結局、読む側は、新聞社の優等生的な自己弁護を聞かされるだけで、「どうすればいいのか」という答えが示されない。
毎日新聞社説「目指すべき追悼の姿とは」は、「アジアから見れば日本は加害者である」と周辺国に対する反省に言及したが、「立場や事情を問わずに等しく追悼できる環境を整えることが、死者への責任の果たし方だろう」と問題を追悼のあり方に矮小化している。日経新聞社説「わだかまりなく戦没者を追悼したい」も同じく追悼施設の在り方を論じ、「靖国と戦争指導者の間に一線を引く。そうすれば、周辺国との関係改善に資するし、何よりも遺族がわだかまりなく参拝できるようになる。」と非常に単純だ。問題の本質は、「靖国に行かなければ済む」という消極的な選択ではないだろう。
いずれにしても、戦略や戦術ばかりで、不戦の信念や思想が語られていないのだ。だから閉塞感が漂っているように感じられる。それは過去の清算にこだわった安倍首相の戦後70年談話にも共通している。
日本は明治以降、天皇を神の子孫と祭りたてる国家神道が国民統治のイデオロギーとして利用された。国家神道は仏教やキリスト教などとは切り離され、明治憲法で制限付きの信教の自由を認められた宗教ではなく、国民が義務として従うべき思想、精神の支柱となった。神社は国家神道を広める拠点となり、やがて軍の管轄下に入ったことで軍国主義を宣伝教化する場になり下がった。
戦後はその反省に基づき、神道は一般の宗教と同列に位置づけられ、形の上で国家神道は消滅した。それまで国民を統合するイデオロギー体系として存在していた神社は、寺院や教会と同じ宗教法人になった。その時点で、前後は断絶しなければならなかったはずだ。そして、国民が共有すべき新たな思想、精神が、完全に神社と切り離された形で模索されなければならなかった。もちろん戦争の反省や追悼はその中の大前提となるものだ。
ただ残念ながら、敗戦の原因や軍国主義の分析は数多くされたが、反省の上に立った新時代への覚悟はおろそかになった。主体的な取り組みを阻んだ占領政策は言い訳にしかならない。自分たちの手で総括するという試みはおろそかになった。象徴天皇とは何か、国会でも教育の場でもきちんと説明できる人はいないだろう。自由と民主主義を常に問い直しながら、享受し、発展させてきたと言えるだろうか。そして、隣国との関係を誠意をもって築いてきただろうか。
国家神道と宗教の境界は断絶どころか、だらしなくあいまいに残された。だから、国家神道時代の思想を引きずる靖国神社参拝について、宗教法人になったからと言って、信教の自由を振りかざすのは筋が通らない。宗教を超越した、国民洗脳のイデオロギーだった過去を、戦後世代の我々は、歴史を学び、想像力を豊かにして語り継がなければならない。靖国参拝をしなければいいとの発想は、議論にふたをし、問題を先送りするだけだ。
理念や信念を語らなければ、原理原則は生まれない。ぶれる人間はだれからも信用されない。これは個人においても国家においても同じではないか。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。