金正恩の“賢い決断”は本物か?あの日を待たない判断は早計だ(特別寄稿)

潮 匡人

flickrより(編集部)

北朝鮮の金正恩委員長(朝鮮労働党)は本当に「賢い決断を行った」のだろうか。ここに至る最近の経緯を振り返ってみよう。

北朝鮮の金洛兼(キムラクキョム)朝鮮人民軍戦略軍司令官は8月9日、その前日付で発表した米領グアム周辺への中距離弾道ミサイル「火星12」の「包囲射撃」計画について、4発を同時にグアム沖に撃ち込む計画案を検討しており、「8月中旬までに最終完成させる」と表明していた。司令官は「火星12は、島根県、広島県、高知県の上空を通過する、射程3356・7キロを1065秒間飛行した後、グアム島周辺30~40キロの海上水域に着弾する」と説明。ただ同時に、包囲射撃を「慎重に検討している」とも表明していた。

これに対し、トランプ米大統領は「これ以上、米国にいかなる脅しもかけるべきでない。北朝鮮は炎と怒りに見舞われる」との強い表現で軍事対応を辞さない考えを示した。

北朝鮮が自ら、計画の最終期限と明示した「8月中旬」となった15日、金正恩委員長は北朝鮮の国営メディアを通じ、「アメリカの行動をもう少し見守る」と述べた。これを受け、翌16日、トランプ大統領が「北朝鮮のキム・ジョンウンはとても賢い、よく考えた決断を行った。別の選択は壊滅的かつ受け入れられないものになっただろう」とツイートした。


さて今後どうなるか。日本政府やマスコミの間では「もう発射はない」との楽観論が流れている。本当にそうなのだろうか。

行方を見極める最初のポイントは8月21日から始まる米韓合同軍事演習となろう。北朝鮮はこの演習に神経を尖らせており、演習項目の公表や空母派遣、さらに戦略爆撃機B-1Bの(北朝鮮のレーダーに映る空域への)展開を中止するよう、国連本部のニューヨーク・チャンネルなどを通じて米側に求めているという。

かりに米側が北の要求を受け入れ、戦略爆撃機の飛行を自粛したり、あるいは演習そのものを中止したりすれば、北のミサイル発射は止まるかもしれない。

しかし、それでは誰の目にも、米国が北朝鮮の軍事的な脅しに屈したと映ってしまう。それはできないし、そうはしないであろう。

その結果、米韓の演習が粛々と実施され、空母や戦略爆撃機が参加している場面を各国メディアが報じれば、どうなるか。北朝鮮はミサイル発射を中止する大義名分を失う。当初の計画通り、グアム沖に4発発射するか、あるいはSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を海中から発射するなど、一定の軍事的意義を持つ威嚇や挑発を続けるほかあるまい。

どうせ米軍に迎撃される、加えて反撃を招く・・・などの判断により、グアム沖への発射が中止され、SLBMなど別の選択肢がとられるなら、その標的はどこか。おそらく日本国となろう。

常識的に考えても、そうなる。そうであるにもかかわらず、他ならぬ日本人が「グアムへの発射がなくなった」と官民挙げて喜んでいるが、本当にこれでいいのか。

思い出せば、2012年にも似たようなことがあった。同年12月1日、北朝鮮の朝鮮中央通信は「人工衛星」を12月10日から22日の間に打ち上げる旨の北の談話を報じた。これを受け日本は12月7日、破壊措置命令を発出。イージス艦とPAC-3を展開させた。

ところが発射予告期間初日の12月10日、朝鮮中央通信は、「運搬ロケット」(テポドン2派生型)の1段目操縦発動機系統の技術的欠陥が発見されたとし、「衛星」発射予定日を12月29日まで延長するとの談話を報道。それを(真に)受け翌日のNHKニュースが「明日の発射はないとの空気が防衛省内でも広がっています」と報じるなど日本中に楽観論が広がった。ところがその翌12日、北朝鮮はテポドン2派生型をほぼ予告通りの軌道で正確に発射、加えて「地球周回軌道に何らかの物体を投入させた」(防衛省)。日本政府とマスコミを含め、関係国をまんまとだまし、その裏をかいたとも言えよう。

ならば今回はどうか。2012年と同じ展開を辿るなら、8月中にも発射はあり得るという判断になろう。実は2012年の際も今回も、北朝鮮は「撃たない」とは一言も言っていない。

もし北がグアムへも、日本近海へも太平洋その他どこへも撃たない、核実験も見送るといった「賢い決断」を下すなら当面、危機は回避されることになろう。ただ、その判断には、米韓合同軍事演習の無事終了に加え、最低でも9月11日まで待たなければならない。なぜ、米同時多発テロ事件の日付が重要なのか。当欄の読者に説明は不要であろう(本年6月の投稿または拙著『安全保障は感情で動く』参照)。

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潮 匡人
文藝春秋
2017-05-19

 

かりに来月以降、何事もなく平静が続くなら、その功績はひとえに米軍の抑止力による。さらに言えば、8月16日に米統合参謀本部議長を中国東北部の遼寧省瀋陽で人民解放軍北部戦区の軍事訓練を視察させた房峰輝(連合参謀部参謀長)の〝賢い決断〟による。それに先立ち中国当局は8月11日付「環球時報」の論説記事で「仮に北朝鮮が先に米国に向けてミサイルを発射し、米国が反撃した場合は、中国は中立を保つことを明らかにすべきだ」との立場を示していた。

こうした状況下、北がグアムにミサイルを撃つのは難しい。もし今後とも発射がないなら、それの主な理由は以上に求めるべきであろう。もとより日本の手柄ではない。

今回、日本は米軍の戦略爆撃機と空自機が共同訓練を実施したが、それ以外、さしたる貢献を果たしていない(8月20日時点)。中国、四国地方にPAC-3ミサイルを展開するなど、いわば自分で自分を守ろうとしただけ。小笠原諸島島に、弾道ミサイル防衛が可能な海上自衛隊のイージスMD艦を展開し、グアム近海を含め迎撃態勢をとるなどの実効的な措置を講じなかった。唯一、国会答弁で(集団的自衛権の限定行使を可能とする)「存立危機事態」認定の可能性を示唆しただけ。たとえそう認定しても迎撃可能なアセットを展開させなければ机上の空論に終わる。

中国、四国地方へのPAC-3ミサイルの展開も軍事的な意義に乏しい。なぜならPAC-3が迎撃できる範囲が小さいからである。しかも、四国に落ちる可能性よりも、グアムまで届かず小笠原諸島に落ちるといった可能性のほうが実は大きい。

結局いつも日本は北朝鮮に振り回されているだけではないか。ずっと人任せ、アメリカ任せにしてきたから、こうなる。それは言い過ぎとのお叱りを受けるなら、こう反問したい。

なら、いつまで四国などにPAC-3ミサイルを展開し続けるのか。イージスMD艦の展開もいつまで続けるのか。破壊措置命令はいつ解除するのか。それとも未来永劫、「常時発令」し続けるのか。ならばそれは関係法令の想定を大きく逸脱している。憲法上も重大な疑義を避け難い。実際問題、現場が許容できる負担の限度も超えている。

相変わらず護憲派も改憲派も、いまそこにある危機を直視しようとしない。

誰も知らない憲法9条 (新潮新書)
潮 匡人
新潮社
2017-07-13