日本国憲法をシンプルに解釈すると?

憲法は、とかく歴史的見地や政治的見地から解釈されることが多いようです。しかし、条文解釈的に考えれば、その構造は極めてシンプルなものだと私は考えています。

まず、国家の基本構造であるコンスティテューションとして、「主権」の在り方が最も重要なものとなります。この場合の「主権」は、国政における最終的意思決定権です。国家のコンスティテューションである憲法においては、国政の最終的意思決定権の所在を最初に規定する必要があるからです。憲法前文と憲法1条は、主権が国民に存すると明記しています。

そして、主権の帰属主体である国民は個人としての個々の国民です。ナシオン主権とプープル主権という概念を持ち出すまでもなく、13条が「すべて国民は、個人として尊重される」と規定しているからです。

国民主権を実現するために、民主主義的システムが規定されています。国民の権利義務に関する「法規」を作ることができるのは、国民の代表機関である国会に限定されています(41条「唯一の立法機関」)。
国会によって作られた法律を執行するのが行政権であり(「法律による行政の原理」)、行政の長である内閣総理大臣は「国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」と67条が規定しています。このように、国会を通じて行政を民主的コントロール下に置くことで、行政権の暴走による国民の権利侵害を予防しています。

とはいえ、民主的コントロールが常に機能するとは限りません。そこで、主権者である国民の重要な権利を守るため、人権保障規定が憲法には盛り込まれています。選挙権(15条)や表現の自由(21条)は、民主主義システムを実効性を確保するための重要な権利でもあり、国民自身による自己統治の実現に寄与するものです。

裁判所は、具体的な紛争に関し、国会が民主的に制定した法規を適用して解決を図る国家機関です。
76条が、すべての裁判官は「この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定しているように、裁判所は憲法や法律に依拠しない判決を下すことはできません。国民の代表機関である国会が制定した法律に拘束されるという点で、民主的コントロールが及んでいるのです。

以上のように、行政権も司法権も国民の代表機関である国会を通じた民主的コントロールを受けます。
そういう意味では、国会が「国権の最高機関」である(41条)というのは、政治的美称以上の意味があると考えます。

13条が保証した(主権者である)個々の国民の権利を尊重するために、平和主義の原則が規定されています(前文、9条)。戦争遂行のために国民の権利が著しく蔑ろにされた戦時の状況を反省し、国民の権利が最大限尊重されることを目的としました。

主権者である個々の国民の権利を保障し、国政における最終的意思決定権の行使を円滑ならしめるのが憲法の役割だということは、君主主権の憲法を想像すれば容易に理解できるでしょう。君主主権の憲法は、君主の権利を保障して君主の意思が円滑に遂行される構造になるでしょうから。

小学生は、日本国憲法の三大原理として「民主主義」「基本的人権の尊重」「平和主義」があると教えられます。また、司法試験受験生を始めとする資格試験受験生は、とかく「個人の尊厳」を唱えます。教科書の記述を丸呑みするのではなく、教科書から離れて、憲法の条文を素直に読んでみることをお勧めします。

もちろん、以上の解釈は私なりの解釈に過ぎないものであります。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年8月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。