朝鮮学校の無償化への援助について、前川喜平氏のとんでもない認識について再び論じたい。私は朝鮮学校への支給を止めることについて、強硬派でなく、安直に止めることにはむしろ慎重派であった(現在のように核攻撃を持って日本を脅している状況では停止支持である)。
ただし、その理由は父兄は日本で納税しているから公平の観点からよほど内容が酷くなければ仕方ないというのが理由であった。いまも支給を続けている自治体の意識もそういうことだと理解している。在日の人たちの納税への納得感を得るためには、できるだけ支給することが望ましいという気持ちがあると思うし、それは正当だ。
しかし、前川喜平氏は多様な価値を評価するがゆえだという。「朝鮮学校を入れると言う事に光をみていた」とまでいっている。つまり、北朝鮮的な主体思想を積極的に多様な価値として評価して前向きに払えと言うことではないか。文部科学省の意識がそういうものだとしたら酷すぎる。
「他の外国人学校と比べても朝鮮学校は日本の社会で暮らす人を育てるという意味合いが強い」ともいっているが、アメリカン・スクールでもなんでもいずれ帰国する人たちだけを念頭に置いているわけでない。どんな外国人学校でも、所在地の国に対する敬意を教えるし、自国民であれ、日本人であれ、日本で生きる人への配慮をしていないはずがないだろう。どう考えても前川氏の認識は異常だ。
それに、日本人の持つべき価値、政府が拠るべき価値は、文部科学省が決める話ではない。そういうことも、この論争ではっきりさせておかねばなるまい。どうも歴史問題などになると、外務省でなく、文部科学省の権限だと思っているのでないか。
竹島を日本領土だと書くべきかどうかにも介入したらしいが、歴史問題として文部科学省が判断すべきだと言いたいのかもしれないが、それははっきりと否定せねばなるまい。