日本は核武装の技術的オプションをもっており、核兵器は合憲だというのが政府見解だが、JBpressでも書いたように、日本が今後も核武装のオプションを維持できるかどうかは疑問だ。これは原子力産業の「密教」で、関係者にも理解されていないので書いておこう。
1968年に結ばれた旧日米原子力協定では、アメリカから輸入した燃料の再処理に個別同意を求めていたが、当時はまだ再処理施設は東海村しかなかったので、大した問題ではなかった。しかし1977年にカーター政権が再処理にストップをかけ、日本の原子力産業は窮地に陥った。
通産省は「エネルギー自給率」の立場から「再処理でつくったプルトニウムは高速増殖炉で100%消費する」という計画を出し、中曽根=レーガン会談で、包括的事前同意、つまりアメリカの拒否権なしで再処理を認める原子力協定が1988年にできた。
日本がアメリカを押し切って日米協定を決めたのは異例だった。当時はまだ再処理にほとんど投資していなかったので、日本も(アメリカと同じく)直接処分に切り替えれば、その後の3兆円余りの浪費は避けられたはずだ。
再処理にこだわったのは通産省だけではなく、当時の中曽根首相だった。日本の原子力開発を先導してきた彼が、核燃料サイクルは核兵器のオプションを意味するという認識をもっていたことは明らかだ。
このときアメリカで議論されたのは「安全保障上の問題」つまり日本に核兵器の材料となるプルトニウムを保有させるかどうかだったが、共同通信の太田昌克記者によると、国防総省とNRC(原子力規制委員会)は反対し、国務省とNSC(国家安全保障会議)が認めたという。
ところがこういう議論は日本ではタブーになっていたので、その後もほとんど認識されていない。2012年には民主党政権が「原発ゼロ」の計画を閣議決定しようとして、アメリカに阻止された。「原発ゼロにしたら国内に残っているプルトニウムはどうやって消費するのか」という質問に答えられなかったからだ。
国内にプルトニウムを残したまま、それを消費する原子炉をなくすと、核兵器に転用する以外の用途は考えられない。今でも「アメリカは核燃料サイクルの存続を望んでいる」などと勘違いしている関係者がいるが、それは日本に核武装のオプションをもたせないためなのだ。
プルトニウム消費の計画が破綻したまま原子力協定を延長すると、日本は半永久的にプルトニウム(したがって核武装のオプション)を保有することになる。アメリカはそれを警戒しているので、合理的なプルトニウム消費計画を求めるだろう。
これに対して経産省は、プルサーマルやASTRIDなどの机上の計画でごまかそうとしているが、これでは核燃料サイクルの収支は大幅な赤字のままだ。こんな壮大な浪費を続けたら、業界の体力がなくなってしまう。軽水炉と直接処分に特化すれば、気候変動が切迫した問題になったとき、原子力に活路はある。
日米同盟が永遠ではない以上、核武装のオプションは必要だが、そのために本質的なのは、プルトニウムではなく原子力技術である。国防の観点からも核燃料サイクルを見直し、原発を正常化して、原子力産業を立て直す必要がある。