今年6月7日にフランス南部の闘牛場でスペインの闘牛士(マタドール)が亡くなった。闘牛場で闘牛士が牛との最初の対面の時に、大きなピンク色のマント(カポテ)で牛を2-3度通した後にそのマントの開きが十分でなく、牛が闘牛士の身体とぶつかり、その勢いで倒れた闘牛士に牛が背後から彼の胴体側面に角を刺した。それが肺を貫通して、救急車で病院に搬送された時には既に手遅れとなっていた。
彼の名前はイバン・フンディーニョ(36歳)。20世紀に入って、彼が32人目に当たる闘牛士の死であった。
彼の死がより注目を集めたのは、彼が家族や親友に宛てた一通の手紙を彼の夫人カイェタナがつい最近偶然見つけたからである。彼が闘牛場から闘牛場への移動の際に常に使っていたトランクをカイェタナが整理していると、2015年5月15日付のその手紙を見つけたのである。そのトランクはスペイン各地を始め、フランス、南米コロンビア、メキシコ、ペルー、エクアドルへと彼に同行していた。その中に、その手紙も一緒に巡業していたということになる。
メディアに公開されたのはその手紙のほんの一部である。彼の家族の要望で全文の公開は差し控えられた。公開された文章というのは、「この手紙を読んでいる時は、全てが終わっているはずだ」と綴り、「恐らく、私が払わねばならない代価は余りにも辛いものであろう。しかし、私の魂は落ち着いている」と書かれている文章だ。
この手紙を彼が書いたのは、日付から判断して世界で最高とランキングされているマドリードの闘牛場「ラス・ベンタス」での闘牛に出場した時に闘牛場の近くの5スターのホテルのスイートルーム201号室であったということになるという。
夫人のカイェタナはその手紙を読んだ時の感動は計り知れないものであったという。この手紙が収められていたのは、彼が使っていたそのトランクの中で、「それは唯一、彼しか使わなかったのです」と夫人は取材に答えた。
フンディーニョの親友で元闘牛士のホセ・ルイス・セグラは「闘牛というのは舞台で主人公が本当に死ぬという作品なのである」と雑誌『LOOK』の取材に答えた。
また、セグラは「イバンの死は私がバルセロナで、ミウラ(闘牛を育てる名家)の牛に刺されて重傷を負ったことを思い出させる」と回顧した後に、「闘牛士は誰も死と直面していることを知っている。だから、我々の想像の中からそれを取り去ることをいつも望んでいる」と語った。そして、「だから、一人でいることを望まないのだ。死について考えないように、いつも同伴者を探すことにしている」と胸の内を明かした。
闘牛士のホセ・アントニオ・カナレス・リベラは「イバンが手紙を書いていたことに、インパクトは感じない」と語り、「何故なら、我々は誰もが同じようなことが起きるかもしれないということを意識しているからだ」と述べた。しかし、彼自身は手紙を書くような気にはならないと取材に答えた。
フンディーニョはガブリエル・ガルシア・マルケスの作品も愛読書だったという。その中に「明日が来ることは誰もにも保障されていない」という文章がある。フンディーニョは常に死というものを意識して闘牛に臨んでいたのであろう。
フンディーニョは死と語りあっていただけでなく、闘牛場に姿を現す前までホテルで孤独を癒すために彼を支えている闘牛チームのメンバーと長い会話を続けるのを常としていたと指摘しているのは『ABC』紙の闘牛記事担当のロサリオ・ペレスである。
フンディーニョはバスク地方出身で、闘牛とは縁のない家系である。しかし、14歳の時に闘牛に魅せられて、2005年にビルバオ闘牛場で一級闘牛士として昇進を認められた。それ以後、亡くなるまで34回の闘牛に臨み、34の闘牛の耳(優秀賞)と3つの尻尾(最高賞)を獲得している。マドリードの闘牛場ラス・ベンタスの大門をファンの肩車に乗って闘牛場から退場したことが一度ある。これは闘牛士にとって最高の栄誉とされている。
夫人のカイェタナはツイートで次のような文章を書いている。「貴方のいないひと月、どのように生きて行けばよいのか分からない。如何なる事も、また誰も、我々を引き離すことは出来ない。私の初めから最後まで車で月を行ったり来たり」と。
イバンとカイェタナが知り合ったのはエクアドルであったという。彼女はエクアドル人でファッションモデルであった。彼女の父親が牛の牧場を経営しているというのが知り合う縁であったという。二人の間には女の子マラが一人いる。イバンがあの手紙を書いた時にはマラはまだ誕生していなかった。
最近は闘牛について賛否両論がある。カナリア諸島州とカタルーニャ州では闘牛禁止法が施行されて、闘牛が出来ないようになっている。
一方、スペイン政府は闘牛は国技という位置づけである。しかし、牛を少しづつ苦しめ精神的に苦しめて殺す闘牛は残酷でもある。また、闘牛士の死と直面しながらのあでやかなマントさばきは芸術的でもある。
この記事は闘牛についての賛否両論に関係なく、飽くまで、闘牛士が常に死と直面して闘牛に臨んでいるということを筆者は伝えたく記事にした次第である。