力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である!

法の女神テミス像を見たことのある人は多いと思います(テミス像だとわからなくとも、きっとどこかで見ているでしょう)。目隠しをして、片手に天秤をもう一方の手で剣を持っている女神の像です。

目隠しは、周囲の雑音や見た目に惑わされずに正しい判断をするため。そして、天秤は正義を表して剣は力を表しています。

天秤の方を高く上げているテミス像と、剣の方を高く上げているテミス像の二通りがあったと記憶しています。
これは制作者の美的感覚によるものかもしれませんが、私は天秤を高く上げているテミス像の方が「本来あるべき姿」だと思っています。力よりも正義を重んじ、力の行使である剣は最後の手段だと考えるからです。

いにしえの昔から、多くの人たちは力ある者に従います。さもないと自分自身が存続が危うくなりますから。
また、力の強弱は多くの場合明白で、議論の余地はほとんどありません。
米国の軍事力が日本の軍事力よりも強大なのは明らかですし、ジャイアンの腕力はのび太の腕力よりも強力です(笑)

しかし、正義については多義的な考え方があり、「正義とは一体何か?」という議論が盛んになされています。
100人の命を助けるためであれば何の罪もない1人を犠牲にしてもいいという考え方もあれば、多数決では奪い取れない権利があるとする考え方もあります。いずれにしても、正義について語りだせばきりがありません。

現代社会を生きる私たちが留意しなければならないことは、今までは明白であるとされていた力の強弱が、昨今の急速な技術進歩によって明白でなくなりつつあるという事実です。

大国の軍事力や国家権力だけが「力」ではありません。
日々私たちが接しているメディアの情報も大きな力を持っています。
「第五の権力」と言われるサイバー世界の情報は、いずれリアル国家の権力を凌駕してしまうかもしれません。
かの中国政府が躍起になって情報操作や情報統制をしていることを考えると、中国政府は米国の軍事力よりもサイバー世界の情報の方をより脅威と感じているように思えます。

情報という力に屈しないためには、情報をそのまま鵜呑みにするのではなく自分の頭で咀嚼することが何より大切でしょう。

とある脳科学者の説によると、スマホやPCのディスプレイを通して入ってくる情報は、各人の意識というバリアを簡単に通過して頭の中にインプットされてしまうそうです。

それに対し、同じ活字が書いてあっても、紙に印刷された活字を読む場合は脳のガードが堅くなるそうです。
真偽のほどはわかりませんが、一つの意見が圧倒的に力を持ってしまうネット上の「炎上」を目にすると、あながち間違いではないように思えます。

書籍や新聞・雑誌等の紙情報を適度に吸収する習慣を付けましょう。
さすれば思考のバランスを保つことができます。
何よりも恐ろしいのは、私たちが知らない間に正義のない力に屈してしまい、暴力を働いてしまうことなのですから。


編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年9月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。