バチカン、少女誘拐事件に関与?

バチカン・ウオッチャーは「バチカンは秘密の宝庫だ」という。好奇心溢れるジャーナリストや歴史家がその宝庫を求めてバチカンの扉を叩くが、多くはバチカンの秘密の扉を開けることができずに、宝探しは徒労に終わる。

▲「秘密の宝庫」のバチカン法王庁(ドイツ公営放送の中継から、2016年3月27日撮影)

34年前、バチカンで法王ヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)の従者の家庭の娘が音楽学校に行った後、帰宅せず行方不明となった事件が起きた。当時15歳の少女の行方は今日まで解明されずにきたが、ここにきてバチカンが少女誘拐事件に深く関与していたことを裏付ける新しい文書が見つかり、話題を呼んでいる。独日刊紙ヴェルトの記事(9月19日)から、事件の経過と新文書の内容を読者に紹介する。

事件は1983年6月22日に遡る。法王庁内で従者として働く家庭の15歳の娘、エマヌエラ・オルランディ(Emanuela Orlandi)さんはいつものように音楽学校に行ったが、戻ってこなかった。関係者は行方を探したが、これまで少女の消息、生死すら分からずに34年の歳月が過ぎた。その間に様々な憶測や噂が流れた。

当時、少女は誘拐され、殺害されたという誘拐殺人説が流れたが、それを裏付ける証拠は見つからなかった。ある者は「少女はテロリストの手にあって、彼らはヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件(1981年5月13日)の犯人、ブルガリア系のトルコ人、アリ・アジャ(Ali Agca)の釈放との引き換えを要求するのではないか」という。別の噂では、マフィア関与説だ。マフィアのデ・ぺディス一味が少女を誘拐し、その後、殺してトルヴァイアニカの海岸にセメントで埋めた というのだ。

事件は未解決のまま迷宮入りかと思われていた時、バチカンの暴露記事で著名なジャーナリスト、エミリアーノ・フィッティパルディ(Emiliano Fittipaldi )が19日、一つの文書を公表した。これは1998年に書かれたもので、バチカンが1997年まで行方不明となった少女のため約34万ユーロ(約4500万円)を支出していたことが記述されていたのだ。これが事実とすれば、少女は少なくとも97年まで生きていたことになる。

ジャーナリストは、「この文書が本物とすれば、バチカンは少女の行方不明の背景を知っていたことになる。それともバチカン内の陰謀のため書かれた偽文書かもしれないが、その内容はショッキングだ。いずれにしても、全て謎の答えはバチカン内で見つけなければならない。バチカンは事件の捜査を開始すべきだ」と要求している。

ローマのサン・タポリナーレ教会の本堂に埋葬されたマフィアのボス、エンリコ・デ・ぺディス(Enrico De Pedis)の墓に別の人骨が見つかり、その人骨が行方不明の少女のものでないか、という噂が流れたことがある。イタリア司法省は2012年5月、事件の捜査を再開したが、情報は間違いと分かった、といった具合だ。さまざまな情報が流れては、消えていった。

検察庁は2015年、未解決事件として、これまでの捜査関連の全調書を閉じたが、少女の家庭は真相を解明すべきだと要求してきた。検察局が閉じた関連文書の中には、新聞の記事から捜査に関連したバチカン側の費用計算書、そして少女がロンドンに拉致され、そこに監禁されていた時の費用、婦人科医の請求書、ヨハネ・パウロ2世の侍医の旅費、バチカンの警察長官(当時)の決算など様々な文書が含まれていた。それらの文書の真偽は不明だ。

最も驚くべき文書は、「バチカンへ移動」と記された1997年7月の日付の最後の郵便物だ。当時29歳だった少女がバチカンに戻っていたことになり、少女はバチカンの人質だったのではないか、という疑いすら湧いてくるからだ。

ところで、2014年3月30日、バチカンの「聖座財務部」に盗人が入り、金銭の他、バチカンの機密文書が盗まれた。4月末に機密文書の一部は戻ってきたが、その中には上記の事件に関連した文書も含まれていたという。

同事件にはバチカン経済部門機構改革委員会(COSEA)に従事していたスペイン教会神父のルシオ・アンヘル・バジェホ・バルダ神父らが関わっていた。バルダ神父は法王庁諸行政部門およびその財務を管理する「聖座財務部」の次長だ。同神父は今回のジャーナリストたちに機密文書を流した容疑で、16年7月、18カ月の実刑有罪判決を受けたが、フランシスコ法王に恩赦を受けている。

バチカン広報担当官は19日、ジャーナリストが指摘した文書について、「偽文書であり、その内容はバカバカしい」と表明し、文書の信頼性を否定した。少女が生きているとすれば、現在49歳だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年9月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。