官僚は、どう生きるべきか。

加計問題は収まりを見せたのかと思いきや、解散・総選挙で、また蒸し返されそうな気配が漂います。
左右両面の見方が放り投げられたまま整理がされていませんが、ぼくは元官僚として、元官僚や現官僚のせめぎあいを眺めつつ、その生きざまに思いをいたしております。

前文科事務次官「行政が歪められた」発言に対し、元官僚の学者などが同意したり批判したりしていますが、際立って説得力と迫力があったのは加戸守行さんでした。
文科省の局長から知事へ転出した加戸さんと前川さんの、官僚トップ同士の対立には興味深いものがありました。

補佐・課長クラスが政治も交えせめぎ合う行政現場の実態を表舞台にさらし、岩盤と忖度という日本的なるものを巡り同じ役所の官僚トップOBがやりあった点で一級のエンタメでした。
でも次官経験者で前川さんの発言・行動を支持する人なんているんでしょうか。
局長・次官経験者の評価を聞きたいものです。

内閣人事局は政高官低の定着、政治による官僚支配の完成を意味します。
官僚は天下りがなくなり、権力も削がれ、いよいよ生きざまを問われます。
政治への転出は一つの有力な出口ですが、かつてのように次官・局長から議員になる道は減りました。
そこで若手官僚が民主党から大量進出したが失敗に終わりました。

かつて総理は官僚出身者の席でした。
吉田岸池田佐藤福田大平中曽根。
しかし宮澤さん以降25年間、官僚首相はいなくなりました。
政が官を必要としなくなった、というより、政と官の役割分担が変わったのです。

小泉内閣はスタート時、官僚出身の大臣は森山(労働)、川口(通産)、村井(通産)、尾身(通産)、柳澤(大蔵)、片山(自治)、遠山(文部)、大木(外務)の8名。官僚内閣でした。
暴れん坊首相と官僚司令塔(飯島秘書官)のもと、官僚OB大臣が官僚を押さえることで小泉政権は推進力を保ちました。

現安倍政権は、大蔵2+通産1、その前は大蔵3。
最近では官僚大臣が多いほうではあります。
だがその行政力は、内閣人事局という「システム」で官邸が官僚を押さえたことに裏打ちされています。大臣を通じてというより、官邸が直接パワーを行使しています。

国政→大臣の道が減った官僚は、首長の道を行きます。
現知事は、自治13、通産8、大蔵3、農水2,外務、運輸=28名。
気がつけば知事の6割が官僚上がりです。地方を官僚が押さえます。LをGが押さえる構図。
(大井川さん(通産)、茨城県知事 当選おめでとうございます。)

官僚出身者が学者やシンクタンクに転身し、政策にコミットするパタンも増えました。ぼくもその一味。
それがいいことなのかどうか。外野の評論家が増えて面倒になっただけなのかもしれません。
外に出た官僚が再び政府に戻る道を増やすという主張もありますが、それもいいことなのかどうか。

政、学以外の道で活躍する人もいます。
村尾信尚さん:大蔵→NEWS ZERO、上山信一さん:運輸→マッキンゼー、平田竹男さん:通産→Jリーグ、村上世彰さん:通産→ファンド、小城武彦さん;通産→CCC、溝畑宏さん:自治→大分トリニータ、岡村慎吾さん:総務→DeNAなど。改革者たちです。

こういうことも含め、次官経験者が政官のグランドデザインを議論してもらえないものでしょうか。

場は用意します。加計問題という獣医学部を一個作るかどうかなんてクソみたいなテーマではなく、官僚がどう生きるべきかのオープンな議論を、トップのかたがたに整理していただきたいものです。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2017年9月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。