幻とリアルな気持ち感じる未熟な36歳なう

ども宇佐美です。
36歳になりました。もはやこの歳になると誕生日もおめでたいんだがどうだかわかりませんが、この際取り留めもなく思うところを連ねてみることにします。

まず感じることは「もうすぐ高校卒業時から同じだけの期間生きることになるのか」ということでして、少々感慨深いものがあります。バイクも盗まずに夜の校舎の窓ガラスも叩き回らずに怠惰に過ごした高校時代ですが、18歳当時受験を間近に控えていた頃の自分は何を考えていたんですかね。多分目の前の受験勉強に必死になりながらも、それなりに将来社会で格好よく活躍する自分の姿に夢を抱いていたと思うんですよね。

尾崎豊
SMR
2013-11-27

で、いざ36歳になった自分は、ヘルニアに苦しみながらなんとか家族を養い、太陽光発電開発のコンサルを主軸としつつも、パソコンの前でしこしことブログや各種連載を書いたり、鹿児島行ってサツマイモの商社を立ち上げようとしていたり、ネット番組のレギュラーになって紗倉まなさんのとなりで鼻の下を伸ばしていたり、単発的にくる転職なり不動産なり政治もののコンサルなりの仕事をあくせく処理したり、となんだか発散しそうになりながら、それでも必死に私という個性でなんとか統一感もたせてアウフヘーベンして社会に自分の居場所を作ろうとしている「未成熟」そのものな存在なわけです。

未だ自意識の中の「あるべき自分」と「現実の自分」との姿が依然として一致しておらず、たださすがに迷走、迷子という時期は過ぎてようやく現実社会との関係の中で方向性が見えてきて、こういう感覚を「幻とリアルな気持ち感じていた」と尾崎は歌っていたのかななどと今更ながら解釈しています。「自由になりたい」というのは簡単なわけで、私もある種それを目指して経産省を退職して独立したわけですが、実際サラリーマンという制約から自由になったところで社会で生きていく限りはどうしても制約が生じるわけで、結局「フリーハンドの自由はない」という当たり前のことに気づいたわけです。あったのは「制約を自分で選べる」という意味での「自由」で、お仕着せだろうが、自分で選ぼうがやっぱり結局服を着るのには人間変わらないといいますか。

高三時にシンガーとしてデビューが決まり、退学して学校の支配からも卒業して思う通りになっても、本当のところ自分はなんも変わらなく夢抱いていたようにはならない、ってことを感じていた尾崎は、感覚が同級生からずれまくって結構孤独だったんですかね。

つぎの区切りの18年後は私も54歳なわけでして、そのころの自分はさすがに「意識の中の自分」と「現実の自分」が一致していて欲しいものです。地に足がつくといいますか。

何をいいたかったのか自分でもよくわかりませんが、ではでは今回はこの辺で。
R.I.P尾崎豊。

新田 哲史:宇佐美 典也
ワニブックス
2017-08-28

編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2017年10月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblogをご覧ください。