「中華民族の偉大な復興」という孫文以来の夢を掲げて登場した紅二代の習近平総書記は、伝統文化の保護と復興を力説している。共産党は総じて、伝統文化を封建思想として軽視、時には破壊をしてきた。父親の習仲勲は体を張って文化保護に努めた、数少ない良識派の一人である。習仲勲が文化保護に残した業績については、改めて触れることにする。ここでは、破壊されたものの復活がいかに難題であるかを指摘する。
習近平は第19回党大会での活動報告でも、「中華の優れた伝統文化が担う思想観念、人文精神、道徳規範を深く掘り下げ、時代の要求と結び付けて引き続き刷新し、中華文化が持つ永遠の魅力と現代の輝きを発揮させる」と伝統文化の発揚を訴えた。「中国の夢」には「文化強国」となる夢も含まれている。軍事や経済だけでなく、ソフトパワーとしても世界の先進国になろうというのだ。
だが、学校の教科書で儒教の徳目を増やし、伝統に基づくという「社会主義核心価値観」24文字を暗唱させても、生活に根付いていない文化は花を結ばない。最近、たて続けにそのことを痛感する体験をした。
10月28日の土曜日は、ちょうど旧暦の9月9日、重陽節だった。陰陽では奇数を陽数とし、9はその極みとなる。9が重なる至上の日が重陽だ。秋晴れで空が澄み渡る季節である。古人は山に登り、季節の花で、厄払いの効があると信じられた菊を愛でた。菊の花を浮かべた酒を菊酒と呼んで飲む習慣もあった。
だが、重陽の山登り=登高には、孤独な感傷や身近な人への思慕を詠った古人の記憶がしみついている。杜甫の『登高』は
万里悲秋 常に客となり
百年多病 独り台に登る
と嘆く。「秋」は「愁」に通ずる。王維は『九月九日山東の兄弟を憶う』を詠み、異郷の地で一人、山に登り、故郷に残してきた兄弟を想った。
私はあの日、4年の学生たちを誘って大学の裏にある山に登った。
卒論や将来の進路について、ゆっくり話し合いの場を持ちたかった。私はてっきり、みなが登高を意識して来ているのだと思っていたが、途中、学生5人のうち、その日が長陽節であることを知っていたのは1人だけだった。休日でもなく、ふだんから特段の行事もないので、意識することがないのだ.
その数日後、日中文化コミュニケーションの授業で2年生の女子2人が日中祝祭日を比較する研究発表をした。日本の祝祭日に中国の伝統が色濃く残されていること、特に道教に起源を持つ「中元」はすでに中国ではすたれ、かろうじて日本の贈答文化に残っていること。日本のお雛様(上巳節)や七夕などには、日中文化の融合もみられるが、中国ではほとんど失われていること。彼女たちの感想は、日本の文化を調べたことによって、かえって自分たちの文化を見直すことができた、というものだった。
中国は、香港や台湾をのぞき、共産党による建国後、国慶節やメーデーなど政治的意味合いの強い祝日ばかりが強調され、民衆の生活に根差した伝統的な祝日は無視されてきた。端午節や清明節、中秋節が法定の祝日になったのは、つい2008年以降のことである。今の若者たちはそのこともよく知らない。バレンタインデーやハロウィーン、クリスマスの方が賑やかなほどだ。
だが、華僑の多い潮汕地区は重陽節が春節以上に重要な日になっている。故郷を離れた華僑たちが年に一回、たくさんの稼ぎを抱えて実家に戻ってくる日だからだ。祖先を祭る祠堂で盛大なお祭りが行われ、子弟の奨学金や祠堂の修復のため多額の寄付がされる。また、授業では、広東省佛山出身の学生が、地元では七夕に果物を月に添える習慣がある、と教えてくれた。
柳田国男が『蝸牛考』で示した通り、辺境の地において文化の原型が形をとどめることはよくあることだ。日本で中華文化の精髄を探すことができるのも、そのためである。中国の若者たちは、日本のアニメに表れる言葉や生活習慣を通じ、日本の祝日に関心を持つケースも多い。大切なことは遠くにあるのではなく、実は身近にあるいのだと知ることは、新鮮な驚きであり、有意義なことだ。とかくインターネットで世界が一つにつながったように見える時代には、より身近な文化が見直されてもよい。中国にとっては日本、日本にとっては中国が、自分を映す鏡のようになってくれる関係が望ましい。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年11月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。