国や組織に必要な“多様性”とは?

国家や組織の存続・繁栄には”多様性”が必要条件だと言われています(「十分条件」ではありません)。

なぜ、多様性が必要条件なのでしょうか?
歴史を紐解くと、多様性を否定すると様々な弊害が生まれることがわかります。

自然科学の分野では、地動説を説いたガリレイが投獄されたのも多様な考え方を認めなかったからですし、旧ソ連から有能な科学者たちが西側に亡命したのも同じ理由でしょう。

逆に、多様な宗教、文化、民族性に寛容であったローマ帝国や米国は繁栄を遂げています。
多様性を認めない国家や組織では、新しいアイディアや行動を実現することができないことから、新陳代謝が進まず、時代に取り残されていくのかもしれません。

先般の報道で、米国の企業でマイノリティー(女性や有色人種)の経営陣の割合が半数を超えたそうです。日本の企業とは大変な違いです。

日本にやってくるアジアの技能実習生が奴隷扱いをされるという記事も目にしました。
最低賃金以下で働かされて、怪我をして働けなくなると会社を追い出されるなど、労働法規を完全に無視した状態が続いているそうです。

在日外国人を一定区画に住まわせるようにすべきだと話した某識者が、ネット上で袋叩きにあったのも比較的最近のことです。

その人の弁護をするわけではありませんが、文化や考え方が全く異なる隣人がいると何かとトラブルが起こるものです。

私自身、以前、韓国人の隣人とイタリア人の隣人がいた経験があります。韓国人の隣人には多大なる迷惑をかけられた挙句、注意をすると逆ギレされるという目に遭いました。

イタリア人の隣人とはフレンドリーなお付き合いができました。
もっとも、これは国籍というよりその人たち独自の品性の違いなのでしょう。
ただ、このような経験をしてしまうと、特定の国や外国人全体に偏見を抱く日本人が増えるのではないかと危惧しています。

かつて、ニューズピックスのコメントで、「男らしさや女らしさがあってもいい」という趣旨のコメントを書いたら、「ステレオタイプの女性蔑視だ」と叩かれたことがありました。
これは、「男女は同じ」という単一的価値観による「多様な価値観」の弾圧(笑)ではないでしょうか?

法律や制度で男女差別をするのは絶対に禁止すべきですが、組織の多様性を高めるためには「男らしさ」や「女らしさ」にも寛容であるべきでしょう。

個人的には、パンツスーツに身を包んだ女性より、タイトスカートとピンヒールで決めた女性の方が「この人デキるな!」と感じます。

男性より女性の方が心身が強靭だと信じている私にとって、女性らしい服装と仕草の方がはるかに脅威に感じるからです。

男女同権の考え方は、一つ間違えると多様性を否定する原理主義に発展しかねません。
単に性別が女性だからという理由で女性を登用するより、女性的発想の豊富な男性を登用したほうが組織の多様性につながるでしょう。そういう意味では、LGBTの人たちにも大いに活躍していただく必要があると思います。

国や組織のとって真に重要なものは、(単に性別や国籍で区別する)形式的多様性ではなく、(考え方等の違いを重視する)実質的な多様性だと考えているのですが、いかがでしょう?

荘司 雅彦
PHP研究所
2013-01-23

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年11月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。