未成年者の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を真剣に考えよう!

もしかして、あなたは次のように考えてはいないでしょうか?「未成年者は半人前で、成長するにつれて判断能力も稼働能力もできてくる。成人年齢に達することでようやく一人前の人間になる」と。

しかし、(少なくとも憲法を含む現行法では)未成年者は出生の時から完全に一人前であり人権も権利能力も成人と同様の権利を持っています。

親権者の監護権等に服したり契約の取消権を認めるのは、判断能力等に劣る未成年者を保護するための「例外」に過ぎません。つまり、生まれたばかりの赤ん坊も成人と同じであるのが大原則で、未成年者保護のために特別の例外規定が設けられているのです。

現に、未成年者名義の不動産や莫大な預貯金はたくさん存在しますし、それを親が処分には厳格な制限が設けられています。

憲法25条1項は「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定しています。原則として未成年も成年も同じ権利を持っているのですから、この「すべての国民」の中に未成年者が入ることは疑う余地はありません。

成年の単身者が生活保護要件を満たせば一定額の生活保護費が支給されて医療費も無償になります。両親が死亡して保護者がいなくなった未成年者が困窮すれば施設で保護されますが、施設に同人数の成年に支給される生活保護費に相当する補助金が投入されているとは到底思えません。

話が飛ぶようですが、厚労省の「平成26年度衛生行政報告例の概況」によると、人工妊娠中絶数は18万1905人です。これは出生数約100万1000人の5分の1にのぼります。

人工妊娠中絶の背景には様々な問題があると思いますが、「子供をきちんと育てる自信がない」という理由がかなりの割合を占めるのではないかと推測できます。生まれたばかりの赤ん坊にも成人と同様の生活保護受給権が認められれば、子供を生む安心感は格段に上がるのではないでしょうか?

生活保護の要件等は極めて技術的政策的な問題なので、行政庁の大幅な裁量権が認められています。

とはいえ、「世間に向かって声を上げることができない」「選挙権がない」といった政治的理由で未成年者の人権が不当に制限されているとしたら、改めてしっかり再検討すべきだと私は思っています。

声のでかい者の言い分だけが通る社会は、到底健全な社会とは言えません。
声を上げることのできない同じ人権共有主体である同胞を守ることこそ、国や私たち社会の責務であると固く信じています。

荘司 雅彦
幻冬舎
2016-05-28

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年11月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。