ユダヤ教を発展させたペルシャ王

イランとイラクの国境周辺で12日夜(現地時間)、大地震が発生し、国営イラン通信によれば、死者数が500人を超えるとの見方を伝えている。同地震に対し、イスラエルのネタニヤフ首相は14日、米国で開催されたユダヤ連盟の会合のビデオ挨拶で、「わが国は国際赤十字を通じてイランの被災者へ支援する用意がある」と述べた。その直後、テヘランからイスラエル側の支援申し出を拒否するというニュースが流れた。

イスラエル側は支援申し出について、「イランの政権は容認できないが、イラン国民は別だ」と述べ、政権と国民を区別して見ていると説明した。

ペルシャ王クロスの話が記述された旧約聖書の「エズラ記」

イランがイスラエルからの支援を受け入れれば、両国の関係は少しは改善方向に向かう契機となったかもしれない。日本が中国で発生した大地震で支援を申し出、中国側がそれを受け入れたことを受け、中国と日本の、少なくとも国民レベルでの関係は改善したことがあった。

イスラエルとイランは政治的、軍事的に敵対関係があることは周知の事実だ。イスラエルはイランのシリア支援やレバノンのヒズボラ支援を強く批判してきた。イランの核問題でも、核合意後も強い懸念をを表明している。一方、イラン側は、「イスラエルは核兵器を保有している」と指摘し、パレスチナ人への弾圧を批判してきた。イランのマフムード・アフマディネジャド前大統領は、「イスラエルを地上の地図から抹殺してしまえ」と暴言を発し国際社会の反感を買ったことがあるほどだ。

しかし、イスラエルのユダヤ教の発展は、ペルシャで奴隷の身にあったユダヤ人に対し、ペルシャの当時のクロス王がユダヤ人の祖国帰還を許してから本格的に始まる。クロス王が帰還を許さなかったならば、今日のユダヤ教は教理的にも発展することがなかったといわれる。

イスラエル史を少し振り返る。ヤコブから始まったイスラエル民族はエジプトで約400年間の奴隷生活後、モーセに率いられ出エジプトし、その後カナンに入り、士師たちの時代を経て、サウル、ダビデ、ソロモンの3王時代を迎えたが、神の教えに従わなかったユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBCB721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ帝国下に入った。そしてペルシャ王朝のクロス王はBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させたのだ。

ユダヤ人を解放したクロス(キュロス)2世(Wikipedia:編集部)

ちなみに、なぜ、ペルシャ王は当時捕虜だったユダヤ人を解放したかについて、旧約聖書の「エズラ記」によると、「ユダヤの神はペルシャ王クロスの心を感動させ、ユダヤ人を解放させ、エルサレムに帰還させた」と説明している。

イスラエルとイラン両国の関係は、現代史に限定すれば犬猿の仲だが、ペルシャ時代まで遡ると、異なってくるわけだ。現在のイラン人は、「地図上からイスラエルを抹殺する」と強迫するが、同じ民族の王が約2550年前、ユダヤ人を捕虜から解放して故郷に帰還させたのだ。繰り返すが、もし、ペルシャ王クロスがユダヤ民族を解放せず、捕虜として使っていたならば、現在のイスラエルは存在しなかったかもしれないのだ。

その観点からみれば、イスラエル首相のイラン被災者への支援申し出はイランへの歴史的感謝の表現ともいえる。それだけに、テヘラン側が政治的な判断からイスラエルの支援を拒否したことは残念だ。

少し飛躍するが、当方は宮沢賢治の詩「氷訣の朝」が好きだ。学校の教科書に掲載されていたこの詩を読んで、与えることより、時には相手の善意を受け入れることがより崇高な場合があることを学んだ。

死に瀕していた妹トシは看病する兄に一杯の水を願う。「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」(雨雪を取ってきて下さい)と看病する兄に頼む。トシは兄が自分のために何かしたいという思いがあるのを感じ、その願いを満たしてあげることがまだ生きている自分の最後の行為と分かったのだろう、兄に水を頼む。

誇り高い民族ペルシャの末裔、イラン人は敵国イスラエルからの如何なる支援をも良しとしないのは理解できる。一方、イスラエルはイラン民族への借りを時が来たら返したいと考え続けてきたはずだ。与える側にも受け入れる側にもそれぞれ事情があるわけだ。

国際政治は愛や善意で動かないが、それとまったくかけ離れた原理で機能しているわけでもない。やはり、被災した他国民への善意や愛は人の心ばかりか国家をも動かす力を持っている、と信じたい。イスラエルの歴史的負債を少しでも軽くすために、イラン側がエルサレムからの善意(支援)を受け入れるならば、両国関係は飛躍的に改善することは間違いないだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年11月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。