“取るにたりないこと”が原因で…

取るに足りないことがわたしたちを塞ぎ込ませるのと同じ理由で、とるにたりないことがわたしたちの慰めとなる。

パスカルのパンセ断章136に書かれている言葉です(鹿島茂訳)。

私たち人間は、日頃から「取るにたりないこと」でくよくよすることがたくさんあります。

体の何処かに痛みを感じると「もしかしたら癌じゃないか」と心配したり、取引先の担当者が無愛想だと「取引を打ち切られるんじゃないか」と悩んだり、「老後破産」という言葉を聞いただけで将来不安を感じたり…。

法律相談を受けていても、客観的に見れば「取るにたりないこと」で悩み抜いている人たちが、本当にたくさんいます。

客観的に見れば「取るにたりないこと」であっても、その時点の本人にとってはものすごく深刻な悩みなのです。

司法修習生のころ、検察庁で「取り調べ修習」というのがありました。

検察官隣席のもとで、司法修習生が被疑者を取り調べるのです。

私に割り当てられたのが「傷害事件」でした。

ボクシングの経験を持つ被疑者が、被害者を数発殴ったという事件です。

殴ったきっかけは、自動車を運転している時、交差点で別の車を運転していた被害者に「ボケ」だか「バカ」だか言わたのがきっかけとのことでした。

被疑者から話を聴くと、目は合ったけどそんなことは言っていないとのことでした。

双方窓を閉めていたので、被疑者は被害者の口元を見て誤解したのでしょう。

「あなたはボクシングの心得があるのでしょう?いつもそんな些細なことで人を殴るのですか?」と被疑者に訊ねたところ、
「そんなことは決してありません。ただ、その時のあいつ(被害者)の顔がどうしようもなく我慢できなくなりまして…」

「顔が気に入らなかっただけですか?他にムシャクシャしていた事情があったのではありませんか?」
「特にありません」とのことでした。

顔や表情は人それぞれだし赤の他人の顔は自分にとって「取るにたりないこと」です。

それがきっかけで傷害罪で送検されて前科者になるのは、どう考えても代償が大き過ぎます(彼には前科はありませんでした)。

そんな被疑者に遭遇した被害者にとっては大迷惑です。

別の修習生が担当した事件では、他人の土地に駐車したところ「駐車禁止」という紙を貼られたことに腹を立て、わざわざ金物屋にいって大きな鎌を買ってきたという事件がありました。

幸い刃傷沙汰にはなりませんでしたが、銃刀法違反で送検されました。

証拠物の鎌はかなり大きく、値段も高かったと推測されます。

大金をはたいて鎌を買って警察に捕まって送検されたきっかけは、「駐車禁止」の張り紙でした。

この二つの事件は、「塞ぎこんだ」のではなく「怒り狂った」ものですが、人間の感情はかくも「取るにたらないこと」で大きく左右されてしまうのです。

「取るにたらないこと」で塞ぎこんだり怒りを感じても、たいていのケースでは一週間もあれば忘れてしまいます。

二三日多忙な仕事が続けば「そんなことあったっけ?」というふうになってしまいます。

暇を持て余して他にやることがないような人ほど、引きずることが多いようです。

そういえば、先の検察修習では、証拠物の鎌を見せられた修習生も、元ボクサーだという調書を読んだ私も、取り調べ当日までは「最初からこんな凶暴な被疑者なんて…突然殴りかかられたらどうしよう」などと不安に怯えていました。

他にやることがなかったので、担当事件の被疑者像が心の中で肥大化してしまったのです。

実際は…実に実に「取るにたりないこと」でした(^^;)

荘司 雅彦
講談社
2006-08-08

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年12月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。