高橋純子記者の「エビデンス? ねーよそんなもん」のエビデンス

日刊ゲンダイが朝日新聞の高橋純子編集委員にインタビューした記事がまだ話題になっているが、話が混乱したままネットに拡散しているので整理しておく。

「新聞記者は、ウラを取って書けと言われるが、時に〈エビデンス? ねーよそんなもん〉と開き直る」というのは日刊ゲンダイの記者が書いた地の文で、彼女がインタビューでそう言ったわけではない。この言葉は、彼女の『仕方ない帝国』という本の19ページに出てくる(クリックで拡大)。

嫌われたり読み捨てられたりしながら、読者の思考をちょっとでも揺さぶりたい。はい。きれいごとですよ、きれいごと。だけど、そこを曲げたら私のなかで何かが終わる。何かは何か。何かとしかいいようがない、何か。エビデンス? ねーよそんなもん

これは「私のなかで何かが終わる」という気持ちにエビデンスがないという意味で、朝日新聞が報道でエビデンスを出さないという話ではない。しかし彼女は「安倍政権は気持ち悪い」という感情をエビデンスもなしに下品な文章で書くので、話が読者に伝わらない。その苛立ちは彼女も、インタビューでこう語っている。

欺瞞を正面から論破するのは難しい。だから「なんか嫌だ」「どっか気持ち悪い」などといった自分のモヤモヤした感情をなんとか言葉にして読者に伝えないと、権力に対峙したことにならないんじゃないかと思うんです。

ジャーナリストが政治家の「欺瞞を論破する」ときはエビデンスをあげるのが普通だが、彼女はそれを放棄して自分の「モヤモヤした感情」を奇をてらった表現で読者にぶつける。こういう宗教的な安倍批判は東京新聞の望月衣塑子記者と似ているが、朝日新聞のほうが格段に影響力が大きい。

高橋記者が去年2月に書いた「だまってトイレをつまらせろ」というコラムも、何をいいたいのかわからないが、安倍政権がきらいだという感情だけは伝わってくる。それは先細りの朝日新聞の、紙の新聞を購読するコアな読者へのメッセージかもしれない。