韓国古代史についての八幡氏への質問 --- 宇山 卓栄

古代において、「朝鮮半島南部は日本領であった」という事実、この事実を端的に証明して見せる本が刊行された。12月24日刊行の『韓国と日本がわかる 最強の韓国史』(扶桑社新書)である。

八幡 和郎
扶桑社
2017-12-24

 

この事実は今日、残念ながら日本人に広く共有されているとは言えない。日本の学校では、古代日本の朝鮮統治の実態をほとんど教えない。私は予備校で世界史の教鞭をとってきたので、それを「教えない」、「触れない」ということについて、何とかならないものかと常々、考えてきた。八幡氏のような影響力のある言論人が、この事実を新著で取り上げたことは大きな意味がある。

朝鮮半島の南部がかつて日本(大和政権)の領土であったという事実は主に、以下のような5つのポイントによって証明される、と八幡氏は主張する。

①『日本書記』において、任那に「日本府」が置かれており、多くの日本高官が派遣されていたという記述がある。

②中国南朝の宋は日本の全羅道・慶尚道・忠清道の宗主権を認めていた。これらの領域が日本領任那である。

③378年、百済が高句麗に京畿道を奪われたため、日本が百済に任那の領域のうち、忠清道を譲った。その後も、百済との関係を重視し、日本は562年、大伴金村の提案で全羅道を譲った。

④朝鮮南部の栄川流域などに日本から伝わった前方後円墳がある。韓国のものが日本よりも後の時代である。

⑤「広開土王碑(好太王碑)」に、日本が朝鮮半島に進出していたことが記されている。

(他にもポイントはたくさん書かれているが評者の宇山が5つに絞った)

「朝鮮からの渡来人が高度な文明を伝えた」というような一般の教科書の記述からは想像ができないかもしれないが、朝鮮と日本の力関係は日本のほうが上であり、日本が朝鮮南部を服属させていたのである。

八幡氏の言うように、『日本書紀』の雄略紀や欽明紀では、日本(大和王権)が任那を統治していたことが記されている。「広開土王碑(好太王碑)」には新羅や百済を臣従させたと記されている。また、新羅と百済は、日本に対して王子を人質に差し出している。中国の史書『宋書』の「夷蛮伝」では、倭の五王の朝鮮半島への進出について、記述されている。

古墳時代(4〜7世紀)における前方後円墳などの陵墓の建設も、渡来人から伝わったという俗説があるが、そうではない。仁徳天皇陵をはじめとする前方後円墳は日本文化で、それが逆に朝鮮半島へ伝わった。朝鮮半島西南部に十数基の前方後円墳が分布している。朝鮮半島の古墳には、日本伝来の埴輪や銅器も埋蔵されていたことが確認されており、これらは日本による統治の証拠と見ることができる。

日本は中国によってつけられた「倭国」という名称により、辺境の野蛮な弱小国家と思われがちだが、日本は中国も一目置く、強国であった。

こうした事実をキチンと教えない学校教育の弊害もあり、多くの日本人が何となく、古代においては「朝鮮=高」、「日本=低」というイメージを持っている。日本が古代において、後進的であったという通俗イメージは一度、リセットしなければならないことを八幡氏の『韓国と日本がわかる最強の韓国史』は教えてくれる。

なお、八幡氏に是非とも聞いてみたいことがあり、以下、質問という形式で書いてみた。八幡氏がこの記事を見て、返答をくださると良いのだが。

Q1
百済滅亡後、その遺民が多く日本に移住したことが本書でも触れられているが、その遺民たちの日本での扱われ方について、八幡氏はどのように考えておられるだろうか?

Q2
百済の支配者は扶余族(満州系)だが、その国民がどのような構成であったかは不明と32ページにある。全羅道・忠清道の百済領域に、百済時代において、満州人が相当数移住したと見るか、それとも限定的と見るか?

Q3
唐は百済討伐のために13万もの大軍を朝鮮半島に派遣していたらしい。新羅軍は5万とされる。この数字を鵜呑みにはできないが、大軍の唐・新羅連合軍に、日本はなぜ挑もうとしたのか?

Q4
白村江の戦いに向け、当事の斉明天皇(中大兄皇子の母)は自ら出陣している(福岡で急逝するが)。天皇が自ら外征に乗り出すという異例な事態をどう考えるか?

Q5
白村江の戦いで日本が敗北したことにより、日本国内でどのような動きや影響があったと見るか? 特に天皇の権力集権化ということについて、どうだろうか?

Q6
「日本」という国号が形成されるのは、白村江の戦い前後ではないかという説があるが、どのように考えておられるだろうか?

Q7
渤海を高句麗の後継国としたいという北朝鮮や韓国の思惑とは別に、渤海は高句麗の遺民や文化を相当数受け入れていたと見るか、高句麗との結び付きは限定的であったと見るか?

Q8
日本人と韓国人のDNAに、遺伝子的な結び付きがあるかどうかを調査したところ、HLA(ヒト白血球型抗原)の分析の結果、両者の遺伝的同質性が低いという結論が出ている。ただし、これは今日の日本人と韓国人についての関係であって、1500年前の両者の関係を、この実験結果から推し測ることはできない。一方、韓国人は中国人、モンゴル人、そして特に満州人との遺伝的同質性が高いという結果も出ている。これらについて、どう考えられるだろうか?

宇山 卓栄(うやま たくえい)
著作家。1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手予備校にて世界史の講師をつとめ、現在は著作家として活動。『「三国志」からリーダーの生き方を学ぶ』(三笠書房)、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(扶桑社)、『民族で読み解く世界史』(日本実業出版社)などの著書がある。